第5話 野原雪という男


 星野は星音堂の話をする時、キラキラと目を輝かせる。まるで仕事に夢中な時の保住と一緒だ。


 何かに夢中になれる人たちが羨ましいと思ったら。熱心に話をしている星野とは対照的に、野原は何事も感じていないかの如く淡々とそこにいるだけだった。


 ——やはり、かなり変わっている男だ。


「次はあのパイプオルガンだ。あれはデンマークからの輸入品でよ、ちと高くつく。だが、あれも劣化してきている。全部取り替えるわけじゃないけど、猶予があるなら、劣化が酷いヤツから取り替えたい」


「なるほど。パイプって……」


「あれは3555本あるんだ」


「そんなに?」


 それについて反応を示したのは田口だ。先日、施設の設備関係は見たものの、肝心のパイプオルガンの知識が不足していたらしい。思わず声を上げてしまってからはっとした。


 じっと見られる野原の視線にドキドキして口を閉じるしかない。ダメな職員だと思われたに違いないからだ。


「これ全部取り替える?」


「そんなことは不可能だろう。優先順位は業者と相談しているところだ」


「ふうん」


「っつかさ。あの。えっと。課長さん? あんた、細かいこと気にするんだな? 今までの課長さんはそんなことまで聞かなかったし」


 田口も同感だった。野原という男は、何聞いていないかのように見えて、その実、ともかく細かい。


 ——自分が納得するまで話を聞くなんて、時間がかかりすぎるだろう?


 課長という立場は、ある程度部下に任せないと。そういう点は、保住と共通するものを感じるが、彼の意図を聞いてみたいと思ったのだ。しかし野原の回答は意外なものでもあり、納得できるものでもあった。


「興味がある」


「興味?」


「そう。面白いんだなって。星音堂って。面白い」


「あのさ。面白いとか言う人、珍しいんだけど」


「そう? おれ、初めてきたから。とっても興味深い。星野くんの話。とても面白いと思う」


 野原の反応に満足しているのか。星野はめんどくさそうな顔を止めた。本気で野原と向き合う気持ちになったらしい。


「お、おい。そんな褒めたって何もでねぇぞ! あんた、面白い課長さんだな。気に入ったぜ。いいぜ。なんでも聞きなよ。おれ、コアな星音堂ヲタクだからよ。あらかた答えられるぜ」


「仕事熱心な職員」


「じゃねーし。趣味だよ、趣味」


 なんだか、妙に意気投合する野原と星野の後ろをくっついて田口は弱った顔をしてばかりだった。


 しかし野原は、保住と同じことを言うのだなと思った。最初の頃、なぜ保住に仕事ができるかと問うた時があった。あの時、彼は「興味だな」と答えた。野原も同じだ。それは、「興味だ」と答える。


 ——そうか。二人は似ているのだな。


 タイプは違う。人間というカテゴリーにも入るのかどうかわからない野原だけど、仕事に対する姿勢は、保住と同じだと思った。



***



 一時間ほど施設内を回り、修繕希望箇所と程度の説明を終え、野原と田口は事務室に挨拶をした。


「よろしくね。頼りにしてる」


 水野谷はそう言うと、なにやら彼に袋を持たせた。


 ——お菓子?


 田口は首を傾げるが、もらった野原は嬉しそうに笑みを浮かべた。


 ——やはり難解。


 星音堂の外に出ると、二人の目前には秋の気配が訪れている森林が広がっていた。田口の前を歩いていた野原はふと足を止めた。


「課長?」


「星音堂に勤務することは、恥ずべき事と習うものだが。こんな場所で勤務が出来るなら本望だな」


 ——それはどう言う意味だ?


 よくわからないが、きっといい意味であることは確か。星音堂は「流刑地」と呼ばれ、一度配属されると、なかなか本庁に戻れないという。田口もそれは聞いていることだ。


 だが星音堂に出入りすればするほど、ここの職員たちは優秀であることが理解出来た。とても本庁の業務とは比べものにならないくらい、たくさんの仕事をこなしているのだ。彼らが落ちこぼれであるはずがない。それは関わっている田口が自信を持って言えることだ。それを野原はこの一時間で理解したのだろう。


 今日は二人になってから違和感だらけだ。槇と一緒にいる野原。こうして仕事熱心で、裏表ない野原。なんだか違和感や意外性ばかりで、もやもやした気持ちを隠せない。田口は思わず野原の背中に声をかけた。


「課長は——無理をなさっていませんか」


 田口の声に弾かれたように野原は顔を上げた。


「無理?」


「そうです。……失礼致します」


 保住よりは少し背の高い、野原の肩を引き寄せて、顔を覗き込む。


 ——ほら。当たり?


 困惑した顔しているじゃない。保住もそうだ。図星だと言葉が不明瞭になるからすぐわかる。野原も同様の反応を示す。いつもは、ハキハキと話す男なのに。


「田口」


「本気で槇さんのやっていること、やろうとしていることに賛同されていますか」


 野原は田口をじっと見つめた。


 ——怒るかな?


 そんな疑念が胸をよぎってドキドキした。田口は黙って相手の反応を待つ。しかし野原は意に反して笑みを見せた。口元を緩め、瞳の色は柔らかい。彼の笑みを見たのは、これが初めてかも知れないと、田口は思った。


「槇の夢をおれは叶えてやりたい。それだけだ」


 ——叶えてやりたい? 例えそれがどんな夢でも?


「おれには、槇のやる事の是非を決める権利はない。ただ、あいつがやりたいならやらせてあげたい。それだけの話——」


 田口にはよくわからない。是非を決める権利がないってどう言うことなのだ。槇の言うことは絶対とでも言うつもりなのか。


 口元に笑みを浮かべている彼の横顔は、どこか満たされているようだが、田口の価値観とは違っていた。


「なぜそんなにまでして、あなたは槇さんに尽くすのですか?」


「槇はお調子者。なにをやってもツメが甘くて……結局は、結果なんて出せない男。だが、おれは何度もあいつに救われた。あいつがいなかったら、きっと。おれはここにいないと思う」


 ——だけど。だけど、本当にそれでいいの?


 ほんの一時間で彼への印象は変わった。槇のコネだけじゃない。野原は真面目で実直な男だ。仕事への向き合い方は似ているとは言え、保住とは違って閃き派ではない。地道にコツコツと進む。星野に質問をしたり、自分が感じたことを言葉にしたりして確認を怠らない。飲み込みも早く、理解する能力が高い。何事もうやむやにはしないのだ。


 野原は、この自然を見て「いいな」と感じられるのだ。あの水野谷にも可愛がられている。ふと見せる笑顔は、彼の本心なのではないかと思う。本当は優しい人なのではないか——そんな彼を槇は見ているのだろうか?


 槇はこんなにも献身的に尽くす野原を大事に考えているのだろうかと疑問になった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る