第3話 やっぱりツイテイナイ



 やはり誕生日はいいことがない。自分のせいではないのに、何故だろうかと自問自答しても、答えが見つかるわけもなかった。


保住ほうちゃん。星音堂せいおんどうの件でいいかな?」


 教育委員会事務局長の佐久間が昼前に顔を出した。彼は保住の寝癖を見て、目を瞬かせてから「いいね。」と笑った。


「……ありがとうございます」


 相変わらず不機嫌でむすっとしている保住だが、佐久間はそんな小さなことは気にしない。


「それより。星音堂の件なんだけど。あちこち不具合が多いそうだ。次年度に改修工事を入れたいみたいでね。予算書が来たんだけど、現場見て話を聞いてきて欲しいんだけど」


 保住は田口を見た。星音堂の担当は田口だからだ。


「おれは午後は別件の打ち合わせがありまして……。田口だけで大丈夫でしょうか?」


「大丈夫じゃないかなあ。水野谷くんのところだしね。確認だけしてきてもらえれば……」


 そんな話をしていると野原が顔を出した。


「佐久間局長。私が参ります」


「え」


「え!?」


「野原くん、大丈夫なの?」


「予算取りに関わることです。自分の目で見てきます」

 

 彼は頷く。機嫌の悪い保住は反対することもなく黙っていた。


 ——この調子だと課長と一緒に外勤になるってこと!?


 田口の心の中は荒れた。だが。何一つ文句も言わない田口の様子を見て、佐久間はニコッと笑うと、肩を叩いてきた。


「そう? じゃあよろしく。よかったね。野原のうちゃんが一緒なら安心だね! 田口くん」


 保住は「仕事だ、頑張れ」と言わんばかりの冷たい視線。田口は血の気が引くのがわかった。そして、そんな彼を見上げて野原はポツンと言った。


「おれも同じ気持ち。安心しろ」


「課長と外勤は嫌です」という気持ちが、当事者である野原に伝わっているっていうことだろう。


 ——失態。


 そんなことは今までなかったのに。どうしたらいいのかわからないくらい焦燥感に駆られていた。野原は「1時に公用車回して」とだけ言って自席に戻って行った。気がつくと、渡辺も谷川も十文字も。みんなが田口を気の毒そうに見ていた。


「ご愁傷様」


 谷川は田口に向かって両手を合わせた。



***



 ——やっぱり誕生日はついていない。ついていない。


 意識しないようにとすればするほど、ドツボにハマる。助手席に座る野原の横顔を見ながらため息しか出ない。無駄話をするような男ではない。黙って運転をするしかないのだ。


 助手席の野原は、外に視線を向けていた。保住は、移動時間も無駄にはしないのに。真逆なタイプだ、と思った。


 こうして大人しくしていると、いるのかいないのかわからないくらい静かなのに。彼は口を開くと威圧的だ。話し方なのだろうか。別にきつく言われているわけでもないのに、そう感じるのは、彼の言葉がストレートで短いからだろうか。詳しい説明がないからきつく感じるのだろうか。


 そんなことを考えていると、野原がふと顔を上げた。


 ——盗み見ていたことがバレた?


 ドキドキするが、そうではないらしい。野原は大して興味もなさそうな表情で田口を見た。


「お前は、なぜ保住のそばにいる?」


「なぜって」


「澤井に預けられたから? それともお前の意思?」


「それは……。お答えしなければいけないのでしょうか?」


 昨晩の出来事の後だ。警戒している。余計なことは言いたくないのだ。田口にしては慎重な言葉を返す。野原の出方を伺っていると、彼は興味もなさそうに「いや。答えたくないのならそれでいい」と言った。


 ——肩透かしだな。変に身構えているおれのほうがおかしいみたいだ。


 田口は咳払いをしてから「では」と声を上げた。


「反対にお聞きします。野原課長は、なぜ振興係がお嫌いなのでしょうか?」


 田口の問いに野原は目を細めて首を傾げた。


「嫌い? 意味がわからない」


「え……」


 思わぬ返答に田口が目を丸くする番だ。


「いや。だって、振興係ばかりダメ出しをしていませんか?」


「それは問題があるから、『ある』と述べているまで」


「ですが。……え! では、保住係長がお嫌いなわけではないのですか? え?」


 田口も混乱していたが、野原はますます首を傾げる。


「保住が、嫌い——? どうして?」


 ——それはこちらが聞きたい。


 田口は返答に窮し、言葉を濁す。


「えっと、なんというか。つまり、その」


「お前がなにを言いたいのかわからない。おれは保住の文章の書き方が好きではないだけ。自信があるようだが、はったりも含まれている。確実に決済をもらいたいなら、もう少し慎重な文章作りがいい」


 彼の言葉をストレートに受け止めるとすると、普通に文章の精査をしていただけだ——ということになる。しかも通すための直しまでしているということだ。


 つまりは、嫌がらせをしているわけではないということ。


「じゃあ、企画書に待ったかけて通さないのって、保住さんが嫌いとかじゃなくて……」


「お前はおれが嫌がらせをしていると思っている?」


 じっと見つめられると、田口の方が恐縮してしまった。


「いや。……すみません。そう思っていました。嫌がらせなのかと」


「安易」


 彼はため息を吐く。


「保住のことは嫌いも好きもない。槇は保住を巻き込みたいみたいみたいだけど、それはそれ。おれは自分に課せられた仕事をするだけのこと」


 野原は視線を外に戻した。


 ——そう。きっと、それだけなのだ。彼にとったら、それだけのこと。


 一人で被害妄想的に捉えていた自分が浅はかに見える。恥ずかしい。


 ——槇さんって人とは、随分と印象が違うのだな……。この人に感情はあるのだろうか?


 機械的な回答。

 正論。

 確かに間違ってはいないのに。どこか血の通っていない言葉ばかり。彼は一体なにを考えているのだろうか?


 田口はそんなモヤモヤを抱えたまま、車を星音堂の駐車場に入れた。


 野原はキョロキョロとしてから田口を見る。案内しろということだ。田口は慌てて野原の前に立つと「こちらです」と事務所を案内した。


 野原という男は、知れ知るほど、難解な人間であると思った。








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