第23章 田口くんのお誕生日

第1話 一年で一度の特別な日


 誰にでも一年で一度だけ、特別な日がある。それは、誕生日だ。9月21日は田口銀太の誕生日だった。


「32歳か……」


 保住と出会ったときはまだ二十代だったのに。なんて時間の経過は早いことだろう。ここまで年を重ねてくると、誕生日だからといって、どうこうするものでもない。ここ数年は家族から「おめでとう」のメールが来る程度だ。


 保住はこういうイベントには疎いから、田口の誕生日を知らない。クリスマスですら忘れている男だ。だから期待はしていないし、寂しいわけもでない。


 朝、目が覚めると、毎年恒例のごとく家族からメールがたくさん入っていた。両親、兄家族、海外にいる兄家族からも。みんな田口の生まれたことを祝ってくれるのだ。


 本当に自分は恵まれていると思った。こんな年になってまで、自分が生まれてきたことを祝ってくれる家族がいるのだから。みんなに囲まれて、こうして必要としてくれる人たちがいるということが嬉しかった。


「おい。遅刻するぞ」


 珍しくいつまでもベッドにいる田口を心配したのか、保住が顔を出した。


「おはようございます」


「おはよう。珍しいな。寝坊か」


「いえ。家族からメールが入っていたもので」


「こんな朝から? なにかあったのか」


「いえ——なにも。気まぐれな人たちです」


 田口は苦笑するとベッドから起きだした。


 ——誕生日は一つもいいことがない。


 昔からそうだった。自分の中のジンクスみたいなものだ。


 楽しみにしていたケーキを兄たちに潰されたり、剣道で大けがをして入院したり。好きな子に振られたのも誕生日だった。だから知らんぷりしておきたいのだ。誕生日なんて、ろくなものではないのだ。だから気にしない。意識しないことにしているのだ。


 昨年も自分の誕生日の頃は最悪だった。保住を澤井に寝取られていたのだから。誕生日どころではなくて、気が付いたらいつの間にか過ぎていた。だから今日は意識しないと決めているのだ。


「洒落にならないな」


 必ず悪いことがある。ということは、今日は最悪な一日になる可能性が高いのだ。田口は背中に冷たい汗が流れるのを感じる。


 ——頼む。今日は何事もなく終わってくれ……。


 あまり意識するのもよくはない。「今日は気にしない」と何度もつぶやいていると、保住が不思議そうに「なにか言ったか?」と顔を出す。田口は「なんでもないです」と言いかけて、思わず吹き出した。


「保住さん、ちょッ……勘弁してください」


「な、なぜ笑う! おれは必死。至って真面目だぞ」


 ——だって、今日の寝ぐせは酷すぎる。


 田口は「すみません」と言ってから、保住を洗面台のところに連れていった。


「直せるかな? 結構、酷い寝ぐせですよね」


「別に。寝相が悪いわけではないのだ」


 ——言い訳か。


 保住の子供じみた態度が愛おしい。田口は思わずぎゅっと後ろから抱きしめた。


「おい! 寝ぐせ直しはどうした」


「もういっそ、このままでいいんじゃないですか? 可愛いですよ」


「放棄する気か!」


 顔を真っ赤にして怒っている保住がまた愛おしい。


「昨晩は最悪でしたからね。仕方がないです」


 ——そう。昨日は槇さんたちとの会合で散々だったからな。


「昨日、あんなことになりましたけど。野原課長、どう出ますかね?」


「さあな。お愉しみだ」


「そういう言い方って、澤井さんに似てきましたよ」


「それは言うな。嫌いだ。一色単にされるのは」


 保住はばっと振り返る。


「だって保住さんは澤井さんのことを尊敬しているし、そう嫌いではないと思うんです」


 別に触れなくていい話題なのに、やはり昨晩の会話中で自分の目の前で澤井への想いを聞かされたことが気になるところなのだ。


「保住さんだって尊敬しているのでしょう?」


「あれは売り言葉に買い言葉だ。バカか。澤井なんて大嫌いだ。あんな奴。正攻法で澤井を追い詰めるというなら手伝ってやったのに。あいつらこそ大馬鹿だ。おれを見くびっている証拠だ。足元を見られたものだ。それが腹立たしいだけだ!」


 ——そんなこと言っちゃって。本気で澤井の失脚に手を貸す、なんてこと考えていないくせに。


「朝から澤井の話なんてするな。気分が悪い。もういい、仕事に行く!」


「いいのですか? 中途半端ですけど」


「知らない」


 彼はむかむかしているらしい。ぴょんとはねた頭の上の髪。


 ——気になるな……。


 田口はそんなことを考えながら保住の後を追いかけた。





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