第8話 守らなくてはいけないもの


 星空がきれいな夜だった。槇たちとの会合を終え、保住は外に出ると大きく伸びをした。面倒ごとは嫌いだが。田口と一緒の帰り道はそう悪くはない——。振り返ると、田口が慌ててくっついてきた。


「保住さん! 待ってくださいよ。それにしても、どうして槇さんと課長の関係を知っていたのですか?」


 保住は田口を待つことなく、さっさと歩みを進める。田口は軽く息を切らしながら、保住の隣に立つと、歩調を合わせてきた。ちょっとしたことが嬉しい気持ちになる。保住は「別に。……知らないけど」とつぶやいた。


 ——別に。あの二人がどんな関係だろうと、おれには関係ないが。澤井とのことをつつくつもりなら、おれだって容赦はしない。


 保住は田口の問いには答えることもなく、軽くため息を吐いた。


「もっと面白いことになると思ったのに。肩透かしだったな。槇という男は、見かけ倒しで、大したこともなかった。それとも、これからなにか仕出かすのだろうか?」


 田口は呆れたように保住の名を呼んだ。


「あんな対応では敵を作りますよ」


「別に。仲良くなりたいなどと思えない男だったし……それに」


「それに?」


 ——お前さえいればそれでいい。なんて、口が裂けても言えるか。


 保住は「お前が同級生と言っていたのを聞いたからな」といった。突然、話題がひとつ前に戻ったので、田口は目を丸くしていた。保住は笑みを浮かべて田口を見上げた。今回は、田口が事前に情報収集をしてくれたのがよかった。


 槇は澤井との関係性をネタに、保住を巻き込むつもりだったようだが。槇と野原の関係性もまた、明るみにはしたくはないネタだったに違いないからだ。案の定、野原をつついたときの槇の慌てぶりといったらなかった。人の後ろ暗いところをつつくのであれば、もっと警戒すべき。


 槇よりも野原のほうが賢いと見たが、どうやら彼は槇の愚行に付き合わされているだけの男だということだ。


 料亭で並んで座っていた二人を思い出して、思わず笑ってしまった。隣にいた田口は「それとこれとは、どういう関係が」と、いつまでもぶつぶつとつぶやいている。保住は立ち止まると、面倒そうに田口を見る。


「お前さ。めんどくさいやつだな。もう終わったことだ。ぐずぐずと言うな」


「また! そんなこと言わないでください。おれは頭緩いんだから、いろいろ教えてもらわないとわかりません」


 田口は心底困った、という顔をしていた。


「槇と野原は同級生だと、お前が仕入れてきただろう? こんないい歳になってまで、同級生が結託をして市役所乗っ取り計画を遂行するだろうか。ただ事ではないだろう? きっと二人の間には、ただの同級生を超えた関係が存在すると予測したら、かまをかけたのだ」


 事情を理解した田口は「本当。貴方って人は」とあきれたような声を上げる。だが悪い気持ちにはならない。保住は「ハッタリは必要だ」と言い切った。


「澤井さんとの関係を知られているではないですか。保住さんの方が部が悪いのではないですか。あの人たちがこの件を伏せておくのでしょうか」


「別に構わない」


「なぜです。澤井さんとのことを知れたら。貴方の立場が……」


 保住は田口を見返した。大型犬が飼い主を心配している目だ。保住は口元を緩めると、田口の頬を両手でぱちんと叩いた。


「保住さん……?」


「おれのことなど、どうでもいいのだ。おれが気にしているのは、お前のことだけだ」


「保住さん」


「人の色恋なんてその時だけだろう。澤井とのことはもう終わったのだ。おれには関係ない。今はお前だ。お前とのことを勘繰られなくてよかった」


 保住は槇の愚かさに、内心感謝していた。自分たちのことを取り繕うので精一杯な彼。相手が槇でよかったのだ。


 ——お前とのことを隠したいわけではないのだ。だが……。


 保住は田口を引き寄せる。田口の両腕も自然と保住の腰に回り、二人は固く抱き合った。


「それから槇に述べた理由は最もらしくて上出来だ。頭が緩いなんて言うな。お前は優秀な男だ」


 保住の耳元に寄せられた田口の唇から吐息が漏れる。それから、小さい声が聞こえた。


「じゃあ、頭撫でてください」


「え? 撫でるって?」


「そのままの意味です。撫でてください。ご褒美です」


 保住は戸惑いながらも、そっと田口の頭に手を伸ばすと、そのまま頭を撫でた。短く切りそろえられた髪が手のひらにあたって、心地よかった。


「ありがとうございます」


「お前の喜ぶことがいまいち理解できない」


「そうでしょうか。すべて喜びます。あなたに触れられたら」


「……付き合いきれん」


 保住は踵を返すと家路を急ぐ。いつもとは違う道だ。自宅までは少々時間がかかりそうだった。


「しかし、あんなことで大人しくなるものでしょうか」


「さあどうだろうか? 少しはなるかもしれないが……。安田が引退をして槇が市役所を去るまでか、もしくは澤井が逃げ切りで退職するまで続くかも知れないしな。ああ、風向きが変わって二人が結託する時が来るかもしれないな」


「澤井さんに報告したほうがいいのではないですか」


「そんなことはすることない。こんなちっぽけなことで失脚するならそれまでの男だ。おれは関係ない」

 

「槇さんは、いったい。なにを失敗しろと言ってきたのですか。今の業務では、澤井さんの首を飛ばすほどのものはないと思うのですが……」


「そうだな……」


 田口にはまだ言えない。これからとてつもなく大きな事業が控えていることを。保住は田口を見上げた。


「おれと一緒にいると、見なくていいもの、関わらなくていいものに巻き込まれる。すまないな」


「いいえ。そんなことはどうでもいいのです。おれは保住さんと一緒にいられるなら。どんなことになろうとかまいません。どこまでもお供します」


 田口の大きな手が、そっと保住の手を取った。それから、指を絡ませてぎゅっと握りこむ。保住は気恥ずかしくなってうつむいた。


「お前のことだけは傷つけたくない。それに、傷つけられたくない」


「保住さん……」


「お前との関係を恥じているのではない。ただ。お前が誰かに傷つけられるのは許されない」


「それは……」


 田口は星空を見上げる。


「おれも同じです」


 だから秘密なのだ。二人の関係は。守らなくてはいけない秘密。


 もう九月も終わりに近い。秋の匂いがする。あっという間に時間は過ぎ去る。秋の夜空は星が綺麗に瞬いていた。

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