第7話 融通の効かない男


 槇は言った。


「我々は君の才能を買っているのだ。澤井は気に食わないが、君は助けたい。どうだ? 我々と手を組まないか。澤井を失脚させるには君の協力が不可欠だ。詳しく説明しなくても、君ならこの意味がわかるだろう?」


 保住は槇を見据えていた。腹の中の不愉快さが膨張していくのがわかる。この男は自分のをやらせようとしているのだ。


「『失敗しろ』と?」


「話がわかる人間は好きだ」


 彼は、澤井が推している『市制100周年記念事業』を失敗しろといっているのだ。秘密裡に進められているプロジェクトとはいえ、市長のそばにいる槇には当然のように耳に入る案件だろう。


 ——くそ。面倒は嫌いなんだよ。


 保住は「そんなに澤井が嫌いなのですか」と問うた。槇は「ふん」と鼻を鳴らす。いちいち癇に障る男だった。


「軽蔑の気持ちを持ち合わせている君なら理解してくれていると思っているのだが。安田は年を取り過ぎた。今では澤井の言いなりだ。今の梅沢は澤井が思うように動かしているのだぞ? 君だって梅沢のことを思って身を粉にしている人間の一人なのだろう? それなら我々に賛同すべきだと思うのだ」


 保住は軽く息を吐くと、口元を緩めた。


「貴方がそんなに梅沢を愛しているようには見えませんね。貴方が欲しいのは、この梅沢市を我が物顔で動かす力——ではないのでしょうか」


「これはこれは。失礼なことをいうものだね」


 槇は膝を打って笑った。


「だがしかし——。そういう解釈もあり得るだろうね。結果的に澤井が失脚すれば、おれが手に入れるのは権力それだからだ。だが勘違いしてもらっては困るねえ。おれが動いているのは、私欲のためではない。おれは梅沢のことを本気で考えている男だ」


 彼の言葉は上辺だけさらって話しているようにしか聞こえない。正直、昔から梅沢のためだけに全てを投げ捨てている澤井の方が鬼気迫るものを感じる。槇の言葉はあっさりとしていて、保住の心には響いてこなかった。


 ——ああ、そうか。澤井は嫌いだ。だが、あの人の梅沢を愛する本質こころは真実だから、嫌いになれないのだな……。


 まさか、こんな機会にそれを自覚するとは。保住は笑うしかない。そして槇の言葉は聞くだけ時間の無駄のような気持ちになってしまうと、興味が失せた。


「こんな小さな田舎町なのに? 貴方は梅沢が本当に好きなのですか? 申し訳ないですけど、貴方のその言葉には、『自分かわいさ』しか伝わってきませんよ」


「なんとでも言いたまえ。しかし、現実から目を逸らすな。澤井は力を持ちすぎている。澤井派の連中以外にもお前まで手中に納めて、これからの保住派も掌握しようと画策しているのだ。今の市役所内で彼の思い通りにならないことはない」


「ですから。おれはそういう派閥には興味がない」


 槇の訴えに耳を貸すつもりはない。保住はきっぱりと言い切った。しかし、槇では埒が明かないと判断したのか、野原が口を挟んだ。


「お前は澤井が嫌い。悪い話ではない。我々に協力しろ」


 野原は緑かかっている瞳を細めて、保住を見ていた。職場ではない場所で、こうして眺めてみると、日本人離れしたその瞳の色が、彼を不可思議な雰囲気にしているということが理解できた。じっと彼の瞳を覗き込むと、彼は視線を逸らした。


 保住は咳払いをして、槇に視線を移し「すみません。そういうの面倒で関わりたくないのです」と頭を下げた。


 ——しつこいのは嫌いだ。


 野原は相変わらず無表情だが不満の声色で保住の名を呼んだ。保住は再び野原に視線を戻す。


「課長。おれの性格は、貴方がよくおわかりではないですか。面倒ごとは嫌いだ。仕事さえさせてもらえればいいんですよ。おれは」


「保住。お前は面倒だと言うが、すでに権力闘争に組み込まれた駒だ」


「では、早々に脱落いたしましょう」


 彼はにこっと笑顔を見せて手を打ち鳴らした。それから、目を細めて田口を見る。


 彼はずっとなにかを言いたそうにして我慢していた。二人に代わる代わる迫られている自分を擁護してくれようとしていたのだろうが、それを保住が望んでいないことも承知して、こうして堪えていてくれたのだ。


 ——本当に。この男がそばにいてくれて救われている。


「おれは、澤井の指示通りに動いているわけでもないのですよ。あの人が、おれのポリシーに反するようなコトをするならば、勿論、同意はしかねる。しかし、それが梅沢や、市民のためになるのであれば、それは必ずやり遂げるだけだ」


 槇と野原は沈黙した。保住は確信している。この場は交渉にもならないということ。なにせ、保住にとったら得になることなど一つもないからだ。


 槇は保住の性格を読み誤ったのだ。保住という男は、そういう男ではないということだ。槇は見掛け倒しで、思量が浅く、愚かな男だという判断を下した保住にとったら、会話をするだけ無駄に思えた。


 ——槇に澤井は落とせない。この男の相手はおれで十分だということだな。


 保住は両手を畳につけると、軽く頭を下げた。


「きれいごとだ、甘ちゃんだって澤井さんにも怒られるが、それを尊重してくれる澤井あの人は、そう悪くもない。澤井あの人の梅沢にかける思いは、おれ以上だ。死んだ父もそうでした。家族なんてまったくもって眼中にないくらい、梅沢のことに夢中でしたからね。申し訳ありませんが、そういう男の血を引いています。融通が利かないのは勘弁してください」


 じっと畳を見つめていると、「君は相当、澤井さんにぞっこんだな」と槇の声が聞こえた。どうやらあきらめたようだ。保住は口元を緩めてから、顔を上げる。


「そうかもしれませんね。上司として市役所職員としては尊敬しています」


 田口の目の前で澤井のことを良く言いたくはないが、それもまた本心。


 ——大丈夫。


 田口はわかってくれると保住は思った。それから保住は、野原に視線を遣る。


「野原課長。こんなことに加担していて良いのでしょうか。おれが澤井に告げ口をするとは思わないのですか。貴方が槇さんと組んで、事業の妨害をもくろんでいると。貴方はあくまでも市職員だ。市の組織の一旦にいる。市役所職員のトップである澤井に知られたら。ただでは済まないのではないでしょうか」


 野原は目を閉じてじっとしていた。


「あの人の耳に入ったら。貴方は潰される」


「おれはお前とは違う。市役所職員にこだわりはない」


「それはそれは。出世街道まっしぐらなのに? ああ、槇さんに引っ張り上げてもらっているというもっぱらの噂ですもんね。随分、懇意にしていらっしゃる。おれと澤井の関係を調べ上げている場合ではないのではないですか」


 野原は目を見開くと、保住を見返していた。不思議な白緑びゃくろくの瞳には揺らぎが見える。


「ただの同級生なんて言葉をおれは信じられませんね。そうでしょう? 同級生って、何十人、何百人いる中で、社会人になってまでこんなに懇意にしますか? 槇さんも、随分と野原課長がお気に入りのようだ。色々な経験させてもらっていますからね。お二人の間の雰囲気はよくわかります」


「曖昧なことを」


 保住は執拗に野原を攻め立てた。すると、耐えきれなくなったのか、槇が「野原をいじめるな」と間に入ってきた。


 ——引っかかったな。


 保住は笑みを浮かべて二人を見据えた。


「おれの足元を掬うおつもりだったようですが、墓穴を掘りましたね。お二人で行動するのは目立つ。お控えになるのがよろしい。職員自体は、誰が誰と付き合おうと解雇の理由にはなりません。まあ、こんな動きを嗅ぎ付けられたら澤井は黙っていないと思います。徹底的に野原課長潰しにかかるのは目に見えている」


 保住は一旦言葉を切ってから槇を見た。


「そしてそれは、槇さんも同じでしょう? 安田市長はお二人の関係や企んでいることをご存知なさそうですね。の件の失敗は市長の進退問題にも影響しかねませんよ。澤井と共に市長も下ろして、貴方が市長にでもなるおつもりですか?」


 返す言葉もないのだろうか。


「ああ、そうか。いい考えだ。澤井と市長との両名を揃って始末できる案は、なかなか面白い。これで、あなたが市長の座を射止められのかも知れない。しかし、世の中はそう甘くはない。失脚と言う形で引退するのと、大成功の花道で引退するのとでは、後任となる貴方のスタート位置も変わってくるのではないでしょうか? 有権者だってそんなに馬鹿ではない」


 槇が黙り込むのを確認してから、保住は席を立った。


「田口。帰るぞ」


「は、はい」


 保住の荷物と自分の荷物を抱え上げて、田口は保住に続く。


「どうもご馳走様でした。ご協力はしかねますが、また食事に誘っていただけると嬉しいです。野原課長。槇さん」


 黙り込んでいる二人を置いて、保住と田口は廊下に出た。



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