第12話 茶番



 大して減りもしないお弁当を片付けて、田口たちは作業に戻った。研修の企画は、あらかた骨組みが出来上がった。後は彩りだ。


「お前の出番だぞ」


 安齋はそう言ってから、田口に視線を向けてきた。この研修で、自分の意義がわからなくなっていた田口は、困惑していた。本当に自分が必要とされているのか、と。不安になってメンバーを見渡すと、皆一様に田口が口を開くのを待っているようだった。


 ——ああそうか。ここにいるみんなが、おれの声を聞いてくれるのだな……。


 市役所に入庁してから、いつも上司や先輩からの一方通行だった。「お前はどう思う?」そう問うてくれたのは、保住だった——。


 研修が始まってから今まで、まるで保住と出会う以前に戻ってしまったかのような錯覚に陥っていた。やはり、自分は必要ないのかもしれない。そういう思いに支配されてきた。だがしかし、それは違っていた。


 ここにいるメンバーは自分や他人の持ち味を十分に理解しているということだ。田口は小さく頷くと、昨日からずっと考えていた企画内容を説明した。


 少々卑屈になって、自分の殻に閉じこもり気味になっていた田口だったが、「それはいいな」と相槌を打ってくれている三人の様子を見ているうちに、いつしか心が軽くなっていった。


 田口の説明を聞き終えた天沼は「いいね」と笑みを見せる。それに釣られて、大堀も「はあ」と感嘆のため息を吐いた。


「いや。本当だね。教育委員会の振興係って、大変だね。そんなことばっかり企画させられてんの? おれ無理かも~。金の勘定しているほうが、楽だよね」


 あまり褒められるとくすぐったい気持ちになる。安齋の手が伸びてきたかと思うと、田口の肩を軽く叩いた。


「ほらみろ。お前の出番。ちゃんと来ただろう? いい案だ。さっそくそれを入れ込んでいこう」


 素っ気ない安齋からも、そんな言葉をもらうと、なんだか気恥ずかしい気持ちになった。


「いいぞ。お前らしいアイデアだ。田口」


 なんだかそこに保住がいて、褒めてくれているような気がする。田口は口元が緩んでいることに気が付いて、気持ちを引き締めなおす。


 ——今は保住さんのことばかり考えている場合じゃない。


 資料作りが終わると、次はプレゼンテーションの打ち合わせだ。このころになると、すっかり準備を終えて雑談をしているグループも見受けられる。早く進んでいるからいいものでもない。少々焦る気持ちを押さえながらの打ち合わせだった。


「プレゼンのやり方だが、パート毎に人を変えてやろうと思う」

 

 安齋は一同を見渡した。その意見に目を丸くしたのは天沼だ。


「一人でやらないのか? くるくる変わるのってどうなんだろう? おれはてっきり、安齋がやるのがいいと思っていたよ」


 安齋は咳払いをする。


「おれたち四人が議論し、それぞれの持ち味を生かした傑作だぞ。発表者は全員がいいと思うのだが」


 田口はなんだか笑ってしまった。安齋という男は、効率性を求める男だと思っていたのだが。そうではないらしい。少々困惑している大堀と天沼を差し置いて、田口は「いいと思う」と安齋の意見に賛同した。


「いいじゃないか。おれたちの集大成だ。みんなで説明をしようじゃないか」


 天沼と大堀は「それもそうだ」と顔を見合わせてから、その意見に賛同の意思を見せた。それを受けて、安齋が口を開く。


「おれが考えた案はこうだ。概要はおれ、コンセプトなどの詳しいところが天沼、予算は大堀、そして、最後のイベント系と、今後の展望とまとめが田口だ」


「お、おれ?」


 田口は驚いた。


 終わりよければ全てよしという言葉があるように、最後は重要だ。今回は、安齋がリーダー的存在として頑張ってくれていたのだ。当然、ラストは彼がいいと思ったのだ。それなのに、そんな肝要なところを自分に任せると安齋は言っているのだ。


「まとめは安齋がしてくれ」


「いや。おれは、田口がいいと思うのだが。どうだ。みんな」


 安齋の提案に、大堀と天沼は意外にも彼の意見に頷いた。


「いいと思う。やっぱりラストは田口だよね」


「しかし……」


 狼狽している田口に安齋は笑って見せた。


「みんながいいと言っているのだ。こういう時は、素直にやるものだぞ。田口。いいか? 大堀は口調が軽い。こいつがラストを飾ったら、台無しだ」


 安齋の言葉に口をとがらせて、大堀は両手を頭の後ろで組んだが、その顔は笑顔だ。


「ちぇ~って文句を言いたいけどさ。実際、おれもそう思う。おれが最後の締めやったら、軽く『なんちゃって』みたいな感じで終わるんじゃない?」


 自分で言っていたら救いようがないものだが、彼は自分のことを良く理解していると言うことだ。安齋は微笑を浮かべてから天沼を見る。


「天沼がやったら、インパクトが薄いだろ」


「そうそう。おれ、説得力ないしね」


「そして、おれがやったら、強引な上から目線で、相手に悪印象だ」


「ぷぷ! それ言えてる~」


 大堀と天沼は笑った。


「失礼なことだが、事実だ」


 自分で言っておいて、安齋は咳払いをした。


「だからって……」


 天沼は笑顔で田口を見る。


「田口のキャラが生かされる時じゃない」


「そうそう。真面目で、実直。田口にまっすぐ見られて頭下げられたら断りにくいよな~」


「そんな」


 ——そうだろうか。そうなのだろうか。


「プレゼンは日々やっていることだろう。お前に任せるよ」


 確かに澤井や保住には随分鍛えられたし、叩かれた。プレゼンだけは負けない。——そうかも知れない。


「わかった」


「頼むね」


「頑張ろう」


「二日間の集大成だ」


 四人は顔を見合わせて頷きあった。もう少しだ。研修の終わりは近い――。



***



 午後2時。保住は、指定された場所に足を運んだ。そこには何人かの職員たちがすでに待機していた。その中に見知った顔を見つける。一つ前の部署で世話になった先輩の瀬川せがわだ。確か現在は、温泉地振興係長——。もしかしたら、この集団は田口の研修会の内容に関わる部署の係長クラスなのかもしれない。


「やあ、久しぶりだね。保住」


 保住は瀬川に頭を下げてから、「今日は、一体なんのお祭りですか」と尋ねた。瀬川は坊主にしている頭をかいた。


「おれもよくわからないんだけど。観光部の係長は総呼び出しだ」


 少し太めの瀬川の隣にいた、背の高い神経質そうな男が保住を見る。


「観光振興係長の北野だ」


「初めまして。文化課振興係係長の保住です」


「君が、……よろしく」


 北野は意味深な反応を示してから、言葉を続けた。という言葉の意味はわからないが、あからさまに嫌な顔をされると、気にしたくなくとも不愉快になるものだ。こういう男は相手にしないに限る。そう決めている保住は、彼から視線を外し瀬川を見た。瀬川も気にしてくれているのだろう。北野のことは無視をして保住にだけ囁いた。


「他にも企業立地支援係、商業振興係……農業振興係も来ているようだ」


「梅沢を売り出そうって魂胆ですか? 職員研修に関係しているとでも?」


「さてね。もしかしたら——」と瀬川が言いかけたとき、人事課の職員が姿を見せた。


「お忙しい中、申し訳ありません。総務人事課の梅津です」


 彼は礼儀正しく頭を下げた。そして事情を説明した。


「本日は10年目職員研修会最終日です。皆さんもご承知の通り、今年の研修受講者は例年に比べると人数も多く、研修結果も実のあるものとなることが予測されます。今回のテーマは梅沢を売るための企画になっており、今後の皆様の業務にも大変参考になるのではないかということで、副市長の意向により、プレゼンを聞いていただくことになりました。予定としましては、本庁に戻る予定時刻は5時となっております」


 ——たかが研修。されど研修。

 

 研修は、お遊びみたいなところもあるが、使えるネタは使えということだ。研修生たちも大変だ。こんなサプライズが待っているなんて、きっと知らされていないのだろうな。いきなり上司たちが乗り込んで来たら、まごついてしまう様は容易に想像できた。


「これより会場に向かいます。どうぞよろしくお願いいたします」


 瀬川は保住を見る。


「どんな企画か。楽しみだな」


「そうですね」


 彼に合わせて返答はするが、気乗りしないかった。澤井のやりそうなこと。とんだ茶番だと思ったのだ。


 ——田口は大丈夫だろうか。


 相当疲れているに違いないだろうなと心配になる。お遊びをお遊びにできない男だ。保住はそんなことを考えながら、他の係長たちと一緒に車に乗り込んだ。



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