第8話 二日目の朝



 浅い眠りの中。いつもとは違った寝床の感触に、少しずつ頭が覚醒してきた。


 ——どこだ。ここは? ……そうだ。ここは。


 田口は我に返りからだを起こす。自分は研修に来ていることを思い出したのだ。寝過ごしてしまったような錯誤に陥って、慌てて枕元に置いておいたスマートフォンを手に取る。画面の時計は早朝の4時を過ぎたところだった。


 それから周囲を見渡すと、大堀と天沼が布団の中で気持ちよさそうに寝息を立てているのがわかった。だが。安斎の姿はない。田口はため息を吐いてから、掛け布団をたたんで起き出した。外の空気が吸いたい。見ず知らずの人間と一晩同じ空間にいると、少々息苦しさを覚えるものだ。


 ——他人と一晩が息苦しいだなんて。おかしな話だ。保住さんと一緒の時間は、あんなに心地いのにな。


 田口は自然と口元が緩んだ。保住のことを考えただけで幸せな気持ちになった。十文字に託してきた。釘をさすようなコメントも記載したものの、本気ではない。十文字のことを信頼しているからこそ、彼に託したのだ。


 ——早く保住さんに会いたいな。


 田口はスマートフォンを見下ろしてから、ふとベランダへと続く窓が少し開いていることに気が付いた。どうやら、安齋はベランダに出ているようだった。田口は腰を上げて、窓に近づく。彼はベランダの手すりにからだを預けて、タバコを吸っていた。施設の周囲は森林に囲まれていて、もやがかかっていた。もう周囲は明るくなりつつあったが、いつも過ごしている場所とは全く違っている風景は非日常だった。


「おはよう」


 田口が声をかけると、安齋は「早いな」と返す。


「早くもない。安齋のほうが早いじゃないか」


「長時間、睡眠をとる質ではない。それに面倒なことばかり押しつけられてる状況でゆっくりと寝ていられるか」


 結局、昨晩は色々なキーワードが出過ぎてまとまらなかった。今日一日で完結しなくてはいけないのに、ある程度の方向性が決まっていないのは不安である。時間内に完成させるのだって能力の一つだ。不安に思っているのは田口だけではなかったということだと理解する。


 四人の中で、誰がリーダーをだというわけでもなかったが、結局はとりまとめができるのは安齋だった。


 大堀は思いついたことをポンポンと上げて、後のことは考えていない。天沼は誰かの意見には同意するが、自分からあまり発言をすることはない。田口はスケッチブックに意見をまとめるが、そう頭の回転が速いわけでもない。


 書き込んでいると話が進んでしまい、自分の思考がまとまる前に次の話題に入っていることが多かった。そうなると、全体の意見をまとめ上げるのは安齋しかいないのだ。


 みんなが彼に「よろしく」とお願いしているわけでもないが、自分の役割は理解しているのだろう。リーダーとして、まとめきれなかったことに責任でも感じているのだろうか。安齋はこうして一人で考え事をしているようだった。


「すまないな。安齋に押し付けるつもりはないが、おれたちの能力が追いつかない」


「そう言うな。おれはリーダーになるつもりもない。田口は記録をこなしてくれている。書き込みながら、自分の意見も述べるなんて、そう高度な技は使えないものだ。それに、そういうお前だって、気になるから早めに起きているのだろう?」


「それは……」


 室内で呑気に眠っている二人に一瞥をくれてから、安齋は笑う。


「短時間でこれだけのアイデアが出るんだ。なかなか優秀なチームだろう」


「後は——どう取りまとめるかだよな」


「田口はどう思う? 昨日の件を聞いて」


 気晴らしをしようと思ったが、結局は今日の研修の話か。まあいいだろう。どっぷり浸かるのもまたいいものだ——と田口は思った。


「正直、食べ物や特産物を利用した企画では、ありきたりで、持続性がないと思う」


「おれも同感だ」


「安齋は、なにに引っかかった?」


「温泉かな」


「ああ。温泉か」


 ——確かに。それは同感だ。

 

 田口は頷きながら、安齋に視線を向けた。


「ちょっと考えていたのは、とてつもなく金がかかることなんだ。そんな企画だしてもいいものかどうか」


 田口の意味深な視線に、安齋はにやりと不敵な笑みを見せた。


 ——もしかして、同じようなことを考えているのか?


「おれもだ。金はかかる」


「そうか。どんな企画か聞きたいところだ」


「そうだな」


 時計の針は4時半を回るところだ。まだまだ朝食までは時間がある。二人はさっそく室内に戻った。


「田口、昨日のノート出せ」


「わかった」


 二人ががさごそと活動を始めた音で、天沼と大堀も起き出した。


「なんだよ~、こんな朝早くから……」


「もう少し寝ようよ……」


「お前たちは寝ていればいい」


 安齋は冷たい。そう言われると起きるしかないだろう。二人はしぶしぶと躰を起こした。


「仕事バカにはかなわないな~」


 大堀は眠い目を擦って不満を述べているが、やらないわけではないようだ。


「顔洗ってくるから。待っててよ」


 天沼も背伸びをしながら、大堀に続いて部屋を出ていった。





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