第6話 やるなら一番!



 終業のチャイムがなると、どっと疲れが押し寄せてきた。十文字は大きくため息を吐いた。そんな様子を見ていたのか。谷川が「まだ一日残ってるぞ。折り返しだな」と囁いた。


「——まだ今日の司令は残っているんですよ」


「え? なんだ? 読んでみろよ」


 十文字は一日目のメモの最後に視線を落とした。


「定時になったらともかく帰宅させる。残業禁止。寄り道禁止。特に飲みに誘うのは厳禁。十文字は指一本触れないこと……です」


 渡辺と谷川は吹き出す。


「一番、危険な奴に託した意味がよくわかった」


「直接、釘が刺せますもんね」


「なるほど……。やるな、田口」


 十文字もそこで初めて、田口の意図を理解した。


「酷いです。おれ……信用ないんですね」


「あると思っていたのか? お前」


 悪びれもせずに谷川は笑ったが、すぐに「一日目、最後の仕事だ。手を貸してやる」と手を叩いた。


 渡辺も「任せておけ」という表情を見せてから、パソコンと睨めっこをしている保住に声をかけた。


「係長! 帰りますよ」


「あ、はい……。お疲れさまでした」


「いやいや。係長も帰るんですよ」


「いや。おれは。その——」


 彼は当然の如く、残業をしていくつもりなのだろう。まったくもって帰宅する意思はない様子だった。しかし、そんなことで怯む渡辺ではない。保住の面倒を何年も見ているベテランだ。


「ほらほら。今日はみんな帰るんです。帰るって決まったんですから」


 彼は遠慮なしに、保住に声をかけ続ける。さすがの保住も、手を止めてからだを起こした。そうなってしまえばこちらのもの——、とばかりに、すかさず谷川も畳み掛けるように声をかけた。


「おれたちも帰るんですよ。田口なんて仕事どころか研修で羽伸ばしていますし。いいじゃないですか。たまには。今日はおれたちもゆっくり休みましょうよ」


 渡辺と谷川に急かされて、保住は少々狼狽えていた。こんな保住はあまり見かけたことがない。田口がいないと、こうもダメな男なのかと思うと愉快だった。


「帰りましょう」


「係長が帰らないなら、おれたちも残業しますよ! 仕事ないのに残業ですからね。いいんですか?」


 渡辺の脅しに保住は諦めてため息を吐いた。


「——わかりました。帰りましょう」


「よかった」


「そこまで一緒に」


 パソコンの電源を落とし、保住は机の上を適当に片付けた。


「おいていきますよ」


 帰ると言っているのに、いつまでも急かす渡辺の強引さといったらない。十文字は心強い味方を得たと思いつつも、保住が不憫に思えた。



***



「町おこしって言ったら、ご当地グルメじゃない?」


 大堀はあっけらかんとした顔でそう提案した。しかしそれを受けた安齋は、眉間にシワを寄せる。


「ご当地グルメって言う言葉は田舎臭くて好かないな」


「えー! じゃあなんなのさ?」


「ソウルフード?」


 天沼はおとなしい。他の二人がどんどん話を進めていく合間に、こうしてぽつりと声を発する。大堀は天沼をじっと見据えてから「あ~も~」とむしゃくしゃとした表情を見せた。


「天沼……っ、つーかさ、あ、ま、ぬ、まって言いにくい!」


 大堀が苛立っている理由はそこかと思うと、なんだか理不尽な気持ちになった。田口は黙って三人の様子を伺っていたが、さすがに大堀の言い分には賛同できない「ごめん」と謝る天沼を見て、間に入った。


「大堀。それは天沼のせいじゃない。八つ当たりするなよ」


 しかし、大堀は大興奮だ。


「そんなの知っているけどさ。だって、明日までお付き合いするわけでしょう? そうだ、わかった。今からてん! てんちゃんって呼ぶからね!」


 一人騒ぎになっている大堀の相手などするのは時間の無駄だと言わんばかりに、安齋はむっと不機嫌そうな表情を浮かべてから、大堀を遮った。


「そんな事は、どうだっていい。くだらないことで時間を割くな」


「安齋は冷たいよ! そんなんで、よく仕事やれるね」


「別に。嫌なら無視してもらって結構だ」


「き! 口が減らないね!」


 一日の疲れがたまっているのだろう。時計の針は、夜の10時を回ったところだ。一日の研修カリキュラムを終え、四人は今晩の寝床になる和室にいた。布団の上に座りこみ顔を突き合わせて明日の課題について議論する。課題は漠然としすぎていた。


『テーマは自由。町おこしにつながるような新規事業を考えよ』


 ——それだけの話。

 

 みんなの動向を見ていた田口は口を挟む。


「喧嘩をしても始まらない。建設的な話をしていかないと時間が足りない」


 彼の提案に天沼も同意をした。


「明日のカリキュラムを見ると、一日中この課題についての作業だけなんだと思うけど……それにしても、テーマくらいは考えておかないと。多分、時間が足りなくなる」


 二人が意見に、喧嘩腰だった安齋と大堀は引き下がった。


「それもそうだな」


「そうだね。早く進めるに越したことはないよね。どうせやるんだったら、使えるのにしたいし。この研修での出来栄えを評価されるとは思えないけど、クズみたいなものに時間をかけるほど暇じゃないしな~」


「その件に関しては同感だ。いい物を作ったところで、実現するとは思えないが。そんなものかと思われるのは心外だ。せっかくやるなら一番じゃなければならない」


 安齋は、珍しく大堀の意見の同調した。この二人は、タイプは違うのに考え方は似ているようだ。だから喧嘩をするのかと田口は納得した。


「じゃあ話を元に戻そうか。テーマをどうするかだね」


 二人の様子をみて天沼は課題を提示した。それを受けて田口はみんなを見渡す。


「頭の中だけだと時間ばかりたつ。もし良かったら思いつく事をなんでもいいから出してみないか」


 田口はいつもアイデアを書き留めておくA4サイズのスケッチブックを出した。


「何これ?」


「いつも持ち歩いてんの?」


 大堀と天沼は目を丸くする。


「企画ばかりやらされている。こうして書き留めると、思考をまとめやすい」


「苦労してんだな。振興係」


 大堀は苦笑いだ。半分バカにされているような気持ちにもなるが、そういう意味ではないらしい。大堀は比較的真面目な表情で田口の仕草を見守っていたのだ。


「妥協を許してくれない上司だし。他人が許しても、自分が許したくない」


「ストイック……」


 感嘆の声を上げる天沼だが、安齋は軽く笑う。


「仕事は出来て当然だ。どんな努力をしたかなんて関係ない。結果が全ての評価だろう? 出来ない人間はいらないんだよ」


「キツイなあ」


 今度は天沼と大堀が目を合わせて苦笑いだ。


「とりあえず、思いつく単語を出してみて」


 四人は時計を気にすることなく作業を開始した。









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