第4話 任されたお守役


「今日の割り当てです」


 十文字は田口から手渡されたメモを片手にイオン水を保住の目の前に並べた。しかし保住は生返事。


「係長、聞いていますか? 今日は田口さんが研修だから、おれが代わりなんですよ」


 目の前で手を振って十文字が必死に声をかけてみるが、保住はぼんやりとした視線をデスクトップに戻してしまった。十文字は困って渡辺を見た。すると彼も肩を竦めた。


「こうなったら無理だ。少し時間を置くしかないだろう」


「さっきおれが渡した麦茶飲んでいたようだから、とりあえずは大丈夫だ」


 責任重大任務だった。田口はこんな気遣いをしながら仕事をしていたということを初めて知った。


 彼は一泊二日の研修に出掛けていた。

 田口に課せられたのは入庁十年目の職員特別研修だ。泊まり込みの研修とは珍しい企画だが、組織として動く以上、人との関係性作りは大切だ。


 特に公務員である市役所職員は、組合活動も盛んだ。そういう背景もあって派閥というものが生まれてくるのだろう。個人ではなく集団を好む職場であることに間違いはない。


 この研修も同期の者で横のつながりを作らせる目的があるようだ。田口はかなり渋っていたが、これも職務の一環だ。一泊二日も不在にする間、保住の面倒を見るように言い付けられたのは十文字だった。


『おれがいない二日間。このメモを見てノルマをクリアすること。声掛けを怠るな』


 手元にあるメモには事細かに指示が書かれている。


『1、出勤してきたら服装のチェック。

 2、午前午後にペットボトル500を一本ずつ渡して飲ませる。

 3、一日目の昼は食堂に連れ出す……』


 これを見るだけで、日常どれだけ過保護にしているかがよくわかる。田口と出会う前、保住はどんな生活をしてたのだろうか。一人で自己管理できる人間に言うこととは、到底思えないことまで書かれていた。


 時計を見ると、ちょうど昼食の時間になるところだ。この二日間は自分の仕事に手をつけるのは無理だろう。さっそく指示通りに保住に声をかけた。


「係長! 今度は無視はダメです。昼飯です! 食堂行きますよ!」


 十文字は保住のシャツを思いっきり引っ張る。そこではっとしたのか、彼は顔を上げた。


「なに?」


 午前中、十文字が彼の周りを右往左往していたのに。保住は何事もなかったかのように顔を上げるのだ。渡辺と谷川の笑い声に内心ムッとした。しかし、渡辺は明るい声で「今日はみんなで食堂行きましょうよ」と言った。


「え? もう昼ごはんですか。今日は弁当がなくて」


 そんなことは田口のメモを見ればわかる。十文字は保住の腕をぎゅっと捕まえて引っ張った。


「食堂は混むのです。行きましょう」


「あ、ああ。みんな昼飯ないの?」


 十文字一人で面倒を見るのはかわいそうだと付き合ってくれるらしい。今朝お弁当を抱えて出勤してきた二人なのに、食堂に行こうと言ってくれるようだ。


「ないですよ」


「そうそう。田口がいないときは田口の悪口会じゃないですか」


 保住は瞳を細めて笑った。『田口』と言う単語に反応しているようだ。田口の話題が嬉しいのだろうと十文字は思った。


「そんなこと言って。田口を褒める会じゃないですか」


 保住はそう言いかけてからふと、言葉を切る、田口の席に目を止めてから、ため息を吐いた。主人なきデスクは、なんとなく物寂しいものだ。三人は一斉に保住の気持ちを理解した。


 谷川がぼそっと「寂しいんだ……」とつぶやく。保住はキョトンとした顔をしていた。


「いや。なんでもありませんよ。さあ、いきましょうか!」


 渡辺も十文字は笑いを堪えるのに精一杯だった。周囲のことにまで配慮できていない保住は「なんだか、腹が減ったな」とお腹を抑えて呟いた。


「でしょ、でしょ。さあ行きましょう」


 十文字は三人の背中を押して、廊下に飛び出した。




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