第21章 自分の価値
第1話 赤ちょうちん秘密の部屋
翌日。田口は赤ちょうちんに足を運んだ。赤ちょうちんは市役所の近くにある。駅周囲の繁華街から外れている場所に、ぽつりと建つこの店の利用客は市役所職員が大半だ。
カウンターは六席。座敷になっているテーブルが四席あるくらいの広さだ。中年のサラリーマンばかりの店内は、むさくるしい雰囲気で満ち満ちている。「赤ちょうちん」と書かれた暖簾をくぐり、中に足を踏み入れると、カウンターに座っていた大堀が手を振った。
「お疲れ様。来ないのかと思った」
「ごめん。遅刻かな」
「いやいや。まだ時間前だし」
大堀は笑顔を見せる。彼の隣に座ろうと椅子に手をかけると、大堀が逆に立ち上がった。
「ごめん。こっちこっち。今日はここじゃないんです」
「え?」
大堀は田口を促すような仕草をして、店の奥に歩いて行った。奥にはトイレしかないのではないか。田口は首を傾げた。よくよく見ると通路横に襖があった。大堀は迷う事なく、その襖に手をかけた。そして、靴を脱いでそこに上がり込む。
——こんなところに部屋があったのか。
トイレに行く時は、酔いが回ってからのことが多い。だから気が付かなかったのだろう。この店に個室があるとは。中は更に襖で仕切られていて、男四人が座れる程度の狭い座敷だった。
「こんなところに部屋があったんだ。知らなかった」
「おれも。吉岡さんに誘われるようになって、ここを知った感じだよ」
大堀は田口を奥の席に座らせた。
「隣に同じような部屋があるから、ここの仕切りを外すと十人くらいは入る感じかな?」
「なんだか秘密の会合部屋みたいだな」
「だよね~。実際に秘密の時に使われることが多いみたいだよ」
「え?」
大堀は声を潜めた。
「ここは役所のお偉いさんたちが秘密の集まりをするのに使われるみたいだ。一つ使えば隣は誰も入らないように店主が配慮してくれるんだって。だから。秘密の話ができる訳」
「でも市役所職員が出入りする場所だろう? 秘密の会合って、出入りする時に目撃されてしまうだろう」
「裏口だよ、裏口」
「手が込んでいるな……」
そんな場所があったとは、まだまだ知らないことばかりだ。田口がそんなことを思っていると、襖が開いた。
「ごめん、ごめん。誘っておいて遅刻しちゃったよ」
吉岡は嬉しそうに笑顔で顔を出した。
「部長」
「お疲れ様です」
吉岡は嬉しそうに手を振ってから、田口の隣に座り込んだ。
「——いいのでしょうか……」
田口は恐縮したように吉岡を見る。
「そんな顔しないで。いいじゃない別に。部長なんて言っても、こんな奴だしさ。おれは、役職で人を見ているつもりないし。気に入った人とこうして飲めるのは最高に幸せ」
吉岡という男は気さくな男だった。澤井とも違い、若い自分たちともこうして気軽に話をしてくれる。緊張していた気持ちが少し和らいだ。
おしぼりで手を拭いていると、赤ちょうちんのおかみさんがビールを運んできた。大堀の手回しの良さに内心驚いた。大堀という男は大変に要領がいい。そして気遣いのできる男だった。吉岡が重宝して可愛がっている理由が、こういうところからも伺えた。
「それでは、初めての会合に乾杯ですか?」
大堀の言葉に吉岡は大きく頷いた。
「これからの若者たちに乾杯だ」
吉岡がグラスを掲げる。田口と大堀はそのグラスにかちりと自分のグラスをぶつけた。奇妙な飲み会の幕開けだった。
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