第13話 猫
「保住さん。眠そうですよ」
田口の指摘に彼は微笑みを見せた。
「眠いな」
「早く寝ましょう。おれも疲れました」
「だな」
「お風呂先にどうぞ」
「いや。お前が先に入れる。片付けはおれがしておこう。夕飯ご馳走になったのだ。片付けをするのはおれの仕事だ」
田口は離れたくない気持ちでいっぱいだった。ぎゅうぎゅうと保住を抱く腕に力を入れる。保住は不思議そうな声色で田口の名を呼んだ。
「あの、やっぱり——」
「え?」
「一緒にお風呂、入りませんか?」
田口の気持ちが保住に伝染しているのだろうか。あっという間に保住の耳が真っ赤になった。
「な、なにを……。そんなに恥ずかしそうに言われたのでは、おれも恥ずかしい!」
「ですが。だって……」
きゅっと保住の手を握る。なんとなくの流れならまだしも、面と向かってこんな申し出をするのは、なんだか気恥ずかしかった。
「いや、その……」
「困りますか?」
「こ、困るに決まっているだろう? な、なんだ。それは……っ」
「変なことしませんから。保住さんの頭、洗ってあげたい」
「な、な……おれが、頭洗うのが下手だと言うのか?!」
「違いますけど」
もうこれ以上もない程赤面してしまっている保住がたまらなく好き。ぎゅーっと抱きしめると、保住は大人しくなった。
「たまにはいいじゃないですか」
「い、嫌だ! 明るいのは、恥ずかしい……」
「嫌な理由はそこですか? じゃあ、真っ暗にして入りますから」
「馬鹿か? お前、馬鹿だろう!?」
「変なことはしません。ただ、気持ちいいことはしたい」
「だ、だからっ! それが変なことなんだ!!」
保住が恥ずかしがるほど、それは魅惑的にしか見えない。まるで誘われているみたいで自分を見失いそうになった。——衝動的。保住に関しては、その一言に尽きる。
保住は田口の肩に顔を埋めた。それか、小さい声で「では、片付けしてからだ」と言った。
「わかりました! おれ洗い物してきます。保住さんは着替えてきてくださいよ」
「……わかったよ」
渋々と言う感じで、リビングを出ていく彼を見送ってから洗い物に取り掛かる。あんなとこして、こんなことして……と期待に胸膨らませているものの、ふと心が不安になった。
いつまでこうしていられるのだろうか。保住は係長として4年目。異動は確定だ。来年の今頃は振興係に彼の姿はない。だけどきっと、自分はそこにいる。保住のいない振興係で、自分はどんな時間を過ごすのだろうか。
何事も始まりがあれば終わる。職場が離れたからといって、二人の関係までもが終わるわけではないのだが。それでもやっぱり。寂しいと思った。
食器を片付けてからふと、田口は気がついた。
いつまでたっても保住が戻ってこない。嫌な予感がした。そばにあるタオルで手を拭きながら寝室を覗くと……。
「やっぱり」
案の定、保住はベッドに横になってすっかり夢の中だ。大きくため息を吐くしかないが、ふと笑ってしまった。
「保住さんらしいですね」
微かに震える睫毛。寝入り端と言うところか。ワイシャツのボタンも適当に外されているだけだし、着替えなんてする気がないだろう? と突っ込みたくなる。前髪にそっと触れてみるが、全く起きる気配はない。
——まるで野良猫みたい。
ご飯だけ食べに帰ってきて、こちらが近付くと、さっと身を翻す。そのくせ、甘えたくなると気恥ずかしそうに擦り寄ってくる。かと思えば爪を立てる。
我がままで気まま。気位が高いわりに、小学生みたいに幼い。保住は自分を「犬みたい」と言うが、保住は「猫みたい」だった。
「好きですよ。保住さん」
妄想していた「あんなこと」や「こんなこと」はお預けだけど、それでも気持ちは満たされている。明日は吉岡と大堀との飲み会だ。
——頑張ろう。おれは。貴方がいてくれるから、どんなことでもがんばれます。
そっと前髪をかき上げて、その額に口付けを落とした。ひんやりとしたそれは、田口の唇に心地よい感触を与えてくれた。
こうしていたい。こうして。ずっと二人で……。
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