第12話 大きい奥様


「会議って……。ねえ、田口さん。本当にこんな人、ほったらかしでいいんだよ? 家族みんなに巻き込まれちゃって。ごめんなさいね」


「家族みんな、ですか?」


 みのりの言葉に目を見張る。


「お母さんも田口さんが気に入ってるんだから。また遊びに連れてきてって言っていたわよ」


「実家には連れて行かない」


 保住は田口が使っていた箸を持ち上げて、そっと肉じゃがに手をつける。


「え、実家に連れて行ってもらえないんですか!?」


 今度は田口がおろおろとする番だ。


「え? おれの実家なんて行きたいの?」


「い、行きたいに決まっています!」


 田口は顔を真っ赤にして、思い切り首を縦に振る。


「保住さんのこと。今年の夏は実家に連れていく予定です」


「え? 聞いていないが」


「いいえ! 昨年は忙しくてお連れできませんでした。ぜひ、おれの実家に来てくださいよ」


「いや。それはいいが……。迷惑だからな」


「そういう遠慮はいりません!」


 必死の田口を横目に、保住はぱくぱくとじゃがいもばかりを頬張った。


「そうだろうか……」


 そんな二人の会話を見ていたみのりは、ぷっと吹き出す。


「え?」


「なぜ笑う」


「だって。——夫婦みたい」


「はあ!?」


「なにを……」


 みのりの衝撃発言に二人は動きを止めた。


「ずっと思っていたけど。お兄ちゃんと田口さんって、夫婦みたいだよね」


「な、みのり。お前。田口に失礼だろう」


「そうかな? 田口さん、まんざらでもない顔」


「え! そんなことは……」


 田口は慌てて自分の顔を触った。そんな様子に みのりは大きな声で笑った。


「本当に田口さんって顔に出るよね。心が」


「そ、そんなことはありません!!


「嘘だ~」


「みのり! からかうな。かわいそうだろう」


 保住が口出しをすると、みのりは意地悪な顔をする。


「普通、そんなこと言わないのに。田口さんのことだけは、かばうんだ~」


「そんなことはない」


「いいよ。いいよ。そんなに否定しなくてもいいじゃん。どうせ、恋人いないもの同士なんでしょう? お似合いじゃん」


 みのりにかかると、保住も形無しだ。弁明は言い訳としてしか捉えてもらえないようだから諦めるしかない。


「好きに想像していればいい」


「そうさせてもらいます」


 みのりは満面の笑みを浮かべた。その笑みは、仕事で相手をやり込めた時の保住の笑みとそっくりだった。


 ——やはり兄妹なのだな。


「ごちそうさまでした。50点だけど、食べるほど味があって美味しかったよ。田口さん。今度は別な料理もごちそうしてね」


「は、はい」


 みのりは荷物を持ち上げる。


「帰ろう」


「なにしに来たんだよ」


 保住は彼女を見上げた。


「別に。夕飯でも作ってやるかと思っただけ。だけど田口さんいたし。しばらくは来なくてもよさそうだね」


「え?」


「お邪魔になるといけないしね~……」


 彼女はそう言うとにやりと笑う。保住に似て目ざといのは目ざとい。


「ともかく。遅い。送っていくか」


「いいです」


「あの。おれが」


 田口はそう言うと、靴を履いていて出ていったみのりの後を追いかけた。


「大丈夫よ。すぐそこに停めてきたし」


 車のことか。田口はそれでも後を追いかけた。


「夜は物騒です。そこまで」


「もう。田口さんって過保護よね。お兄ちゃんもそうして甘やかされているって訳か。——確かに悪い気はしないかな?」


 車の側までやってきて、みのりは田口を見上げる。彼女はにこにことしていた。


「田口さん」


「はい」


「兄のこと、よろしくお願いしますね」


「え、ええ」


「兄はああいう性格だし。友達いないんです。恋人なんて言ったらなおさら。あの身なりだから、女の人は寄って来るみたいなんだけど。結局、遊ばれて終わりみたいだし。そばにいてくれる人って今までいなかったんですよね」


「そうなんですね」


「兄のこと、でいてくれます?」


 好きの意味はいろいろある。だけど田口は大きく頷いた。


「……好きです」


「そう。それは嬉しい」


 彼女は愛らしい笑みを浮かべる。


「兄を大事に思ってくれる人ができて嬉しいです。本当はお姉ちゃんがよかったけど。まあ、田口さん、いい人だし。一緒に住んでいるんでしょう?」


「え?」


 ——やっぱり。ばれている。


 田口は顔が熱くなって、あたふたしてしまった。


「別にいいですよ。隠さなくて。それくらいそばにいてもいいって人が出来たってことは、喜ばしいことだもの。おっちょこちょいだし。抜けている人ですから。どうぞよろしくね。


 みのりは頭を下げると、自分の車に乗り込んだ。赤い小型車が走り去るのを見送って、田口はため息を吐く。いいことなのか、悪いことなのかはわからないが、仕方がない。


 彼女が走り去った方向を眺めてからアパートに戻る。保住はすっかり食事を終えて寛いでいるところだった。


「帰ったか?」


「はい」


「すまないな。みのりが来ることを忘れていた」


「いえ」


 田口は言葉数少ない。


「田口?」


 首を傾げて、目を瞬かせているのに応えることなく。彼のそばにいくと、無言で腕を掴んで床に押し倒す。 


「な? 田口?」


「遅いですよ。帰ってくるのが」


「仕方ないだろう? 会議だ」


「50点で悪かったですね」


「そこ? そこを怒っているのか? 悪かった。わかっている。頑張ってくれているのは、わかっているから……」


 ——違う。そんなんじゃない。ただ……。


「明日、行きたくないです」


「は? 行きたくないって……。何の話だ」


 保住の首元に顔を埋めてから田口は呟く。


「明日、吉岡さんに飲みに誘われました」


「そうか。吉岡さん。お前を気に入っているようだ。すまないな。巻き込んだ」


「それは。致し方ないことはわかっているのですが……。貴方もいないのに。行きたくないです」


「そんな構える相手ではなかろうが。……すまないな」


 保住は部署のメンバーとの飲み会には足を運ぶが、飲み会に参加する頻度はぐっと少ない。彼も社交的ではないということだ。


 一緒に住んでみると、余計にわかる。だからきっと。田口の気持ちを理解してくれているに違いないのだ。保住の指が、そっと田口の頭を撫でた。


「あの人はお前に興味を持っている。いずれは誘われる。悪い人ではない。案外、楽しく過ごせるかも知れない。重く考えるなよ」


「はい」


 ——違う。違うのだ。


 田口が嫌なのは保住のそばにいられないこと。よしよしとしてくれる保住の腰に腕を回して、抱き寄せた。こうすると彼の香りがして心が落ち着くのだった。



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