第11話 50点




 6時を過ぎても、保住が帰って来る気配はない。十文字から、保住が怒っているのではないか、と指摘されたことが気にかかった。保住が打ち合わせから戻ってくるのを待っているよりも、一足先に帰って夕飯でも作っていたほうがよさそうだ。


 まだ残業をしていくという十文字を残し、田口は一人帰途に就いた。


 保住と暮らすようになって『料理をする』ということを始めた。保住が上手だからと言って、全てお任せとは行かないからだ。彼は年々、忙しくしているように思える。「好きでやっている」と言っても、疲労が蓄積してくると、顔色も悪い。


 まずそもそも保住という男は「息抜き」の方法を知らない。帰宅しても仕事のことばかり考えている。休日だって昼過ぎまで寝ていたかと思えば、起きてくるなり仕事を始める。テレビを見て無駄な時間を過ごす、という楽しみもない。寝ても覚めても仕事のことばかりだった。


 もしかしたら、仕事以外のことで楽しみにしているのは料理なのかもしれない。しかしそれも、仕事が立て込むと難しい状況になるのだ。彼がいつ帰ってきてもすぐに食べられるようにと、今晩は肉じゃがを作ることにした。


 保住には「50点」と言われるメニューだが、温め返しも楽だし致し方ない。「お前には似合わない」とバカにされているエプロンをつけて台所に立っていると、玄関のチャイムが鳴った。


 ——こんな時間に?


 時計の針は7時半だ。保住だったらそのまま玄関を開けて入って来るはずだから、チャイムを鳴らすということは——来客。彼と一緒に住むようになって来客は初めてだった。


 ——出たほうがいいのだろうか。しかし、おれが出たらおかしいだろう? 居留守を使うしかないのか。いや。照明がついているのだ。居留守を決め込むのは……。


 返答に困っていると、相手は痺れを切らしたらしい。玄関を叩く音と、女性の声が聞こえた。


「お兄ちゃん、いるんでしょう? ちょっと、開けなさいよ」


 ——これは。


「みのりさん……」


 ——どうしたものか。


 そういえば、妹のみのりがたまに顔を出してくれると言っていた。これはまずいことになった。保住がいるところならまだしも、彼は不在で田口だけがいるというシチュエーションはかなりおかしい。


「ちょっと! 無視するなよ~。いつ寄ってもいないから心配していたんだからね! 電気ついているの見つけたから、いるのはわかっているからね!」


 おろおろとしてしまうが、このままだと近所迷惑でもある。


「ほら、開けろ~! 開けないなら合い鍵で不法侵入するぞ」


 これでは拒否しても入って来るということか——それは困る!

 

 田口はほとほと困って玄関をそっと開けた。


「あの、保住さんは、まだ帰っていません」


「え? え? 誰!? 泥棒!?」


 みのりは右手を突き出し、戦闘のポーズをとった。田口は慌てて「ち、違います」と手を振る。


「え? ——田口さん?」


 みのりは目を丸くして田口を見る。それはそうだろう。田口はエプロン姿だ。彼女は開いた口が塞がらないという感じだ。


「あの。えっと」


 なんと説明したらいいのだろうか。言葉に詰まってじっとしていると、みのりは吹き出した。


「そんな困った顔しないでよ。それより……なんかいい匂い。お腹すいちゃったし。私も食べて行こう」


「えっと、あの」


 彼女は田口のからだを押し退けると、中に足を踏み入れた。止めても無駄だろう。田口は大きくため息を吐いて、肩を落とした。


「田口さん、さっさとご馳走してよ」


「は、はい!」


 リビングのテーブルに座り込んだ彼女は大きな声で田口に指示する。田口は慌ててキッチンに戻り、ご飯と肉じゃがをテーブルに並べた。彼女は他愛のない話しをして、手伝う素振りはない。


「どれ、いただきます! ……う〜ん、50点くらい?」


 みのりとテーブルを挟んで向かい合って食事をすることになるなんて思ってもみなかった。彼女は肉じゃがをほおばって笑う。


「すみません。保住さんと同じ評価です」


「そうなんだ。おいしいんだけどな。うーん。ちょっとなにか足りないわよね」


 彼女は朗らかに笑う。


「一人で食べるなんて味気ないから。付き合いなさい」


 そう言われて田口もしぶしぶ、自分のごはんを口に含む。


「まったく。お兄ちゃんも人使いが荒いんだから。自分が遅くなるからって、田口さんに食事作らせるなんて。帰ってきたらぎゃふんと言わせてやるから大丈夫よ」


「いえ。あの。そういうのでは……」


 ——そう。好きでやっているだけ。


 そう言えないところが辛い。


「みのりさんは、今帰りですか」


「そうそう。銀行って、結構残業あるんだよ。これからボーナス時期でしょう? いろいろ忙しいの」


 彼女は遠慮と言う言葉もないくらい、がつがつと食事を摂る。年頃の女性はこんなものなのだろうか?


 それとも田口がまったくもっていろいろなものの対象外だから、こんな調子なのだろうか。そんなことを考えていると、ふと玄関で物音がする。物音の主は少し時間をおいて、それから嫌そうな顔をしながら顔を出した。


「やっぱり——」


「やっぱりじゃないでしょう? まったく。お兄ちゃん。田口さんに夕食作らせておくなんて、ひどくない?」


 もぐもぐしたまま、みのりは箸を振り回す。


「行儀悪いな。なんだよ。おれがいないのに。勝手に上がり込んで」


「勝手にじゃないわよ。ちゃんと田口さんに入れてもらったんだから」


 保住は大きくため息を吐いた。


「そういう問題か」


「そういう問題かって、逆に言いますけど。どういう問題な訳? そしてどうして田口さんをこき使っているのか説明してもらいましょうか」


「こき使っているわけではないだろう」


 そこで田口も口を挟む。


「そ、そうです。おれは好きでやっていて」


「好きで!?」


 みのりは目を見開く。信じられないという顔だ。


「田口さん、料理好きな訳? 50?」


 ひどい言いぐさだ。田口は言葉に詰まる。


「ぐ、あの……」


「おい。確かに、田口の肉じゃがは50点だが、お前が言うことはないだろう」


「保住さん……」


 50点、50点と言われても。田口は救われない。


「信じられない。お兄ちゃん。田口さんに強制的に好きとか言わせて。本当に。呆れるわ。それだから彼女の一つもできない訳よ」


「彼氏のいないお前には言われたくないな」


「うるさいな~」


 みのりと保住の会話はひどすぎる。田口はしょんぼりして黙り込んだ。


「って言うかさ。こんな遅くまで家政婦みたいにさせておいて、明日も仕事じゃん」


「仕方ないだろう。会議だったんだから」



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