第5話 敵わない


「貴方も保住さんがお好きでしたか。おれの気持ちがわかるということは、そういうことだ」


「おれたち二人の間に敵対心は皆無だった。あるのは、よきライバルとしての闘争心だけ。しかし周囲は放っておかなかった。それだけの話だ」


「だからと言って、彼を……保住をかわいがるのですか。貴方は自分の立場を理解していない。貴方が保住を擁護すればするほど、彼が不利な立場に陥るのですよ」


「そんなことは知っている」


「では、なぜ?」


 澤井は不意に表情を曇らせた。吉岡はその変化を見逃さない。彼は彼なりに思うところがあるとでもいうのか。吉岡は澤井の真意を知りたいと思った。もし、澤井が保住の父親と敵ではないというのならば。


「おれ自身が単純にあいつを好いているからかもしれないな」


「父親の代わりで、ですか」


「お前らと一緒にするな。おれはあいつを一つの個性としてとらえている」


「おれたちはあの子を父親とは区別しています」


「いいや。そうは思えん。あいつを保住派の代表に祀り上げようとしているのがその証拠。そっとしておいてやれ。それじゃなくとも、巻き込まれているのだぞ」


 ——巻き込んでいるのは貴方でしょうに。


 吉岡は非難の気持ちを込めて澤井を見据えた。彼は腕組み直して椅子にもたれた。


「おれが退職した後、保住は潰される可能性が高まる」


「あなたの派閥の人間にですね」


「そうだ。おれの周りにいる奴らは、私欲でしか物事を判断しない。おれをこのんで選んだのではなく、たまたま保住の父親が嫌いだから、おれにくっついただけの奴らなのだ」


「今はあなたの手前、好き勝手なことはしていませんが」


「いなくなったら、直接攻撃を加える奴も出るだろう」


「だから」


「そうだ。まだまだ現場の経験が必要だが、そんな悠長なことは言ってられない。早く引き上げて、ある程度自由が利くようにしてやりたい」


「澤井さん」


「この企画を成功させれば、中立派が保住に着く。若い職員は奴に心酔する」


「そこまで見越しているのですか」


「先の先を読む。読めない奴は脱落だ」


 吉岡は唸った。澤井という男は思慮深い。ただの素行が乱暴な不良職員ではないということだ。あまりじっくりと腹を割って話す間柄ではないし、対峙すればお互いに非難の気持ちがあるせいで、わかり合おうとしたことはなかった。


『あいつは切れる男だ。仲間になるとすごく頼りになる』


 保住の父親がそう言っていたのを思い出す。


『態度は横柄で口も悪い。けれど、あれで意外と繊細なのだよ。あいつは。優し過ぎる男なんだ』


 保住の父親が澤井をほめるほど、吉岡は彼が嫌いになった。ただの嫉妬だ。くだらない嫉妬心。それが今だに尾を引いているということは、ばからしいことだった。


 吉岡は大きく息を吐いてから「わかりました」と答えた。


「彼を擁護する件に関しては、あなたとは共闘できます。この企画に関しても色々と根回しをしましょう」


「そうしてくれると助かる」


 澤井は一瞥をくれ、立ち上がった。「話は終わりだ」と言わんばかりの態度に、吉岡も腰を上げた。しかしふと澤井に視線を戻す。


「それにしても。部下に手を出すなんて。——しかも、息子ほども年下ですよ?」


「歳は関係あるまい。父親と重ねて見るしかできないお前たちよりは、マシだと思うがな」


「な、」


「あいつは別物だ。保住だが父親ではない。担ぎ上げたいのはよくわかるが、きちんとあいつ個人と向き合ってから考えろ。おれはそれを理解したから、こうして付き合える」


 澤井に言われたくないことだが図星でもある。吉岡は黙り込んだ。


「いつまでも父親の影を映すな。息子が救われない」


「わかっていますよ」


「なら、そうしてやれ」


 吉岡は頭を下げてから廊下に出た。


 ——わかっている。わかっているはずなのに。


『吉岡』


 冬の雪解けの頃のお日様みたいに力なく、だけど確実にみんなを温かくしてくれる彼の笑顔が忘れられないのだ。


『死にたくない。生きていたい。まだやりたいことがある。心残りばかり。吉岡、おれに生きていると実感させてくれ。おれは生きていられると』


 聡明でいつでも冷静な彼が。吉岡に縋って号泣したのだ。死を目前として。不安。恐怖。そんな気持ちをぶつけられて、受け止めない訳にいかないじゃないか。


 国への出向から惨憺さんたんたる状態で帰ってきて、度重なる治療で痩せていった彼を吉岡は抱きとめ、そして残りの時間を共に過ごした。優しく触れて。彼が生きていると言う感触を掴めるように。逢瀬おうせを繰り返した。


『あの子たちを、どうか……』


 ——よろしく。


 彼に託されたのだ。守らない訳にいかない。自分の進退をかけてもだ。保住家の人々には顔向けができぬくらいの背信行為をしてきたというのに。


 ——後悔はしていない。おれはあの人が大事だったのだから。


「敵わないな。あの人には」


 保住の父親と対立出来るくらいの能力の持ち主だ。


「おれは、まだまだ足元にも及ばないか」


 廊下を歩きながら吉岡は呟く。


「おれはおれのやり方でやらせてもらおう」


 澤井とは同じようにはできない。だから——自分のやり方で彼を支援するのだ。吉岡は心に決めた。





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