第6話 過去と現在と

 


 吉岡が保住の父親と出会ったのは、入庁してから数年後のことだった。二つ目の部署である国保年金課。


 彼はちょっと意地悪な先輩。それが第一印象だった。

 

 あの時、一緒に配属されており、今でもなにかと相談相手になってくれるのが、星音堂せいおんどうに配属されている水野谷みずのやだった。


「吉岡さんって、ドジですよねー」


 水野谷は育ちが良く素直すぎた。吉岡が傷つくようなことを平気で口にする。後輩からはからかわれて、先輩である保住の父親からはダメだしばかり。過酷な環境だったはずなのに――。


「あの頃はとても楽しかったな」


 デスクで書類を精査しながら、ふと呟く。

 

 あの頃の人間関係は吉岡にとったら宝物だった。当時の同僚たちには今でも助けてもらうことが多い。人脈ができただけではない。仕事の基礎を、あの部署で学んだ。


 書類の作り方。公務員としての立ち居振る舞い。他部署との交渉術。人間関係の作り方。色々なことを学んだ場所でもあった。


「部長、この書類お願いします」


 昔のことに想いを馳せていると、財務部の職員が顔を出した。


「そこに置いておいて」


 彼は頷くと、書類を指定の場所に置き、さっさと部屋を出て行ってしまった。今の市役所はあの当時とは様相が違っている。昭和のよき時代であったことは言うまでもないが、職員同士の交流が少ない。


 当時は、気の合う仲間で連日のように飲みにったものだ。そして、それぞれが持つ公務員論をぶつけ合った。だからこそ、派閥というものもできた。


 今は、そういうことには興味がない職員が多いのかも知れない。澤井派。保住派。派閥とは、自分たちの退職と共に消え去るほど、くだらないものかも知れない。それだけ人間関係が希薄と言うこともあるだろう。


 しかしそうは言っても、派閥は幅を利かせていることには違いない。全く面識のない職員と、見知った職員を見比べたら、それは知っている職員を取るに決まっているからだ。人とはそういうものだ——。


 梅沢市役所の人事は未だにシステム化されていない。——いや


 なぜなら、現在いいようにしている人間たちに


 昇進試験を導入して能力の査定を始めると、能力ばかり重視され、人間性が反映されない可能性がある——と反対派は異論を唱えている。それは確かにそうかもしれない。


 だが、そもそも感情が伴う人間が、客観的判断を下せるかというと、それはなかなか難しい問題でもある。私情を殺し、精巧な機械のように適材適所を実現することができる人事課職員は稀であろう。


 そんなことは誰が考えてもしごく当然のことなのに、梅沢市役所は職員査定の適正化には手を加えない。これは自分たちを守る砦でもあるからだ——。この曖昧な基準、あってないような基準があるからこそ、適当にゆるく年功序列に人事を決定することができるというものだ。


 そしてそのシステムには、派閥というものが有用だ。澤井が言うことは一理ある。保住を早く取り立てて、自由に仕事ができる環境に置いてやりたい。今のシステムだと、上に引っ張り上げるのは簡単だが、だからだ。


 自分が退職した後、彼が仕事をしやすい位置にまで持ち上げたい気持ちはよくわかった。彼の言葉に嘘はない。本心なのだろう。


「おれは、なにを見てきていたのだ」


 ——まさか、あの澤井が夢中になるなんてな。想定外。


 大きくため息を吐いて、受話器を取り上げた。


「はい。梅沢市星音堂の安齋です」


 コールの後、律儀な男の声がする。


「吉岡です。水野谷課長はいらっしゃいますか」


「はい。お待ちください」


 保留音の後、明るい水野谷の声が響く。


「肩書名乗ってくださいよ。一瞬、どこの吉岡さんだかわからなくなりますから」


「ごめんごめん。ちょっと、急用があって——今晩会える?」


「いいですよ。他の予定あっても行きますから。いつもの場所でいいですか?」


「悪いね。待ってます」


 吉岡は受話器を置いた。


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