第20章 秘密裏プロジェクト

第1話 密談



 梅沢市役所二階の中心部。広く開けた窓からは青々とした空と、山々が連なる様が見て取れた。盆地である梅沢市は、四方八方を山で囲まれている。どちらを向いても山が見える。澤井の好きな風景だった。


 大きな机の上は綺麗に片付いていて、電話機とペンが一本立てかけられているだけ。その代わり隣に置かれている机の上は、書類が山積みになっていた。


 ここは。梅沢市長の部屋だ。約束の時間通りにやってきた澤井だが、市長の姿は見えなかった。彼は応接セットの椅子に腰を下ろし、黙ってそこにいた。


「もう少し。もう少しなんだ。——保住」


 澤井は市長が座るデスクを眺めていた。


 市役所職員の最高位は副市長だ。そう——頑張っても副市長。澤井からしたら「」だ。


 本来、目指すべきは今の場所ではないのだ。ただ今はその時期ではない。虎視眈々と機会を待つ。それもまた肝要なことだ。そんなことを考えていると、古びた木製の扉が開いた。


「澤井くん、お待たせして申し訳ないね」


 小柄な安田市長は、遅刻したことを悪びれる様子もなく笑顔を見せた。澤井は立ち上がり、それから頭を下げる。


「いえ。こちらこそ、お時間を割いていただきまして。ありがとうございます」


「澤井くんの頼みだったら、なんでも聞くよ」


 彼は澤井の目の前に座った。市長と一緒に入ってきた秘書が書類が山積のデスクに座った。


 私設秘書——。市長である安田の甥だ。次期市長に立候補するのではないかと噂されている、年の頃は三十台。名をまき実篤さねあつと言う。


 澤井はこの男を警戒していた。槇が果たして有能かと問えば、答えはイエスとは言い難い。彼はまだ若く経験値が足りないおかげで、考えが甘い。まだまだ自分の手中でいくらでも転がせる人材であることには違いないのだ。しかし無視できないのは、安田が彼に絶大なる信頼を置いているということだ。


 前任の十文字市長が体調不良で退任してから、三期連続安田が仕切ってきたが、年には敵わないか。就任当初とは違い決断力にも乏しくなってきており、それを自覚しているのか、なにを決める時には、槇に伺いをする様子が見られるようになってきている。


 ——市長が頼る存在は、おれ一人で十分なのだ。槇が賢くはない。丸め込むのは容易だが。その機会をいつにするか、だな。


 澤井は槇の処遇を考えながら、本題を切り出した。


「実は三年後に迫ってきた梅沢市制100周年の件のご相談でした」


「なんだか、まだまだ先の話だねえ」


「そうでもありません。百年に一度のお祭りです。準備は周到にせねばいけません」


 安田は槇を見た。槇はちらりと澤井を見た後、「澤井副市長のおっしゃる通りかと」と言った。槇も同意した流れならよし、という顔付で、安田は澤井に向き直った。


「で、話をしてくるってことは、なにか相談事だね。案があるのかい?」


「百年に一度のお祭りは年間を通して続きます。しかも、全ての部署が関わる大かがりなことになる。その中で、ドカンと大きな花火を打ち上げなくてはいけませんよね」


「確かにね。なにもしないわけにもいかないしなー」


「かなりの金が動きます」


「なるほどね。今から予算考えておかないとか。で、誰がそれをやるんだい?」


 ひと昔前なら、職員が思いつく前に安田から指示がある話だ。しかし。やはり、安田の動きは鈍い。だからこその好機。澤井は封筒を開け、二枚綴りの書類を安田に手渡す。安田は受け取ってからゆっくりとした動作で、それらを眺めた。


「もうこんなに考えたの? しかし。これは、これは。金がかかりそうだ」


「承知の上での企画です」


 安田は書類を槇に手渡した。彼は素早く書類を眺めると、小さく頷いた。


「まずは議会に内々に打診が必要です。それと並行して、庁内の調整を図ります」


「まずは金だしなー。後は……」


「人材ですね。誰にやらせるか、が最も肝要だ」


 槇は「職員の中に目星はついているのでしょうか」と澤井を見た。澤井は口元を緩める。


「中核を担う駒は決めている。だから話を持ってきているのです」


 安田は「早いね!」と感嘆の声を上げた。


「決まっているなら楽でいいけど。大丈夫なの? 失敗はないよ」


「無論です。おれが失敗したことありましたか」


「ないね」


 安田は人の良さそうな笑みを見せた。


「進めてもよろしいでしょうか」


「そうだね。よろしく」


「ありがとうございます」


 澤井は会釈をしてから立ち上がった。話は終わりだ。澤井は笑顔を見せてから市長室を出た。静寂漂う廊下はしんと静まり返っていた。


 市長室のあるフロアは、市民はほとんど出入りをしない。市役所の中枢部の部署が配置されているだけだ。


 市長とはトップだが、職員と違い危うい地位にいる。次の選挙で市民の心を掴めなかったらアウトだ。実質、動かしているのは自分たち。中央官庁と一緒だ。大臣たちはお飾り。本当に日本のことを決めているのは官僚。


「好き勝手やらせてもらおう」


 だから、ここまで上り詰めたのだ。副市長室に帰ると秘書課の副市長担当の職員がいた。


「お帰りなさい。副市長。あの、総務部長と、財務部長から電話が入っていました」


 使えない男だった。


「頼んでおいた資料。揃えておいたか」


「すみません。電話が多くて。今やっています。もう少しです」


 ——これだ。


 澤井はむっとして彼を睨む。


「遅い!」


「申し訳ありません」


「謝ればいい問題ではない!」


 ぺこぺこと頭を下げて萎縮するような職員は、いらないのだ。澤井は内線を持ち上げて秘書課に連絡を入れた。


 ——おれが欲しい人材はこれではない。


「課長を寄越せ」


 呼ばれてやってきたのは、秘書課長の金成かなりだった。


「お前は出ていろ」


「失礼いたします」


 男が退室したのを見て、澤井は金成を見据えた。


「あれで三人目だが、使えん。もっとちゃんとしたやつを寄越せ」


「申し訳ありません」


「どいつもこいつも仕事は遅い、意味がわからん。もっと賢いやつじゃないと困る」


 痩せ型の小柄な中年男は、汗を拭いてばかりいる。秘書課長。昔、この地位に保住の父親がいた。彼だったら、こんなことにはならない。梅沢の職員の質の低下はいがめないのだ。澤井は大きくため息を吐いた。


「なんとかしてくれ」


「今日中に新しい職員を配置いたします。お待ちください」


 そう言って彼は出て行った。気が立っている。まだ本人には言うつもりは無かったが。


 ——顔が見たい。


 そう思った。

 そして、受話器を取り上げた。


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