第6話 過去の恋、そして現在進行形の恋
突然、十文字から「失恋連敗を止める方法とは?」と尋ねられても、田口は言葉に詰まってしまう。恋愛に関しては、明るくない。保住と相思相愛になるのに、一体どれだけの時間をかけたことか。
仕事のことだったらアドバイスできるかもしれないが、恋愛に関しては自信がない。
「なんだよ。急に。お前が疲弊している理由は仕事じゃないってことか?」
「いいえ! 仕事もですよ。仕事も……でも。あの。うまくいかないんです」
十文字は黙り込んでうつむいた。これは困ったことになった、と田口は思った。
「恋愛経験があると思うか。おれに。恋人ができた谷川さんに聞けばいいだろう」
「確かに田口さんは、恋愛経験なさそうですけど。同じ匂いがするっていうか」
「同じ匂いってなんだよ」
昨日、記念館のそばで、知り合いに出くわした後から、顔色が優れないことを思い出した。田口は「昨日の人……」と思わずつぶやく。
——いや。彼は男性だった。男性? 同じ匂いって、え? そういうこと?
田口は背中に汗が流れるのを感じた。自分が保住と付き合っていることを十文字に嗅ぎつけられたとでもいうのだろうか。心臓が早鐘を鳴らす。しかし、彼は大して気にもしない様子で笑みを見せた。
「すみません。立ち入ったことをです。おれの話なのに」
「……いや。いい。いいんだ。十文字」
「田口さんは優しい人だ。だから係長も好きなんでしょうね」
「え!」
もう絶句するしかない。色々なことがばれているらしい。必死に隠している自分がバカみたいに見える。田口は口ごもってしまった。
「あの。きっと気がついているのはおれだけだと思いますよ。同じ匂いがするからわかっただけで。渡辺さんや谷川さんは、そこまで本気に思っていないと思います」
「そ、そうか……」
「すみません。田口さんっていじると面白いんだもん」
「いじるって。先輩だぞ」
「そうですね」
十文字は「すみません」と頭を下げた。田口は仕事の話をする雰囲気ではないと判断し、「で?」と十文字の話を促す。
「おれでいいんだったら聞くけど」
それから十文字は「昔話なんです」と言いながら口を開いた。
「昨日会ったあいつ——佐野とは、学校が違っていたんですが、同じ合唱部だったので、顔見知りになったんです」
彼の話をまとめるとこうだ。十文字と佐野は、高校こそ違えど、同じ部活動繋がりで顔見知りになった。十文字は佐野に恋をしたというのだ。
「顔を合わせる機会はそう多くなかったんですけど、メールしたり、電話したりする内に、気になる存在になっちゃって、いつの間にか好きだったんだと思います。今になってみると、どこをどう好きだったのか、どこまで本気だったのか、わからないですけど……」
「だけど?」
「当時は本気だったんだと思います。でも結局は、なにも言えなくて。当たり障りなく友達で過ごして……。あいつの恋愛話の相談にも乗ったりしたんですよ! ……ああ! どこまでお人よしなんでしょうね。本当に馬鹿だ!」
十文字は両手で頭を抱えると、がっくりと項垂れた。田口は同情の気持ちを込めて笑みを見せる。この男もまた、プライベートは不器用らしい。
「昨日、連絡先交換したじゃないですか。どうしようか迷ったんですけど。あっちからメール来て。高校時代の恋人と続いていたってことが明らかになって。ああ、おれ。失恋ですよ。失恋」
「そうなるな」
「ううう。もうそこからはヤケですよ。本当。仕事に生きることにします。おれ。仕事一筋。もう恋なんてしません」
田口は恋愛の経験は少ない。けれど、十文字が抱える辛さは十二分に理解できた。彼はこの昔の恋から解放される必要がある。そう思った。
「このまま終わりにするのか」
田口の問いに、十文字は弾かれたように顔を上げた。
「だって! もう失恋決定ですよ? 今更、なにをしろっていうんですか」
「お前の思いを伝えたことはあるのか?」
田口は努めて静かな声で言った。彼は驚いた顔をしていたが、ふいっと視線を外す。
「そんな。あいつを苦しめるだけですよ。おれの気持ちを伝えたところで、現実はなにも変わらないんだ」
「けれど、お前は過去のその恋からまだ解放されていないのだろう?」
「それは……」
十文字は口ごもった。図星なのだろう。
「十文字。前に進まないと。これはお前にとっても必要なことだが。もしかしたら、佐野くんにとっても必要なことかもしれないのだぞ」
「強い思いは、相手にも伝わるものだ。佐野くん。お前の思い、きっと感じ取っているに違いないぞ」
「そんな……」
十文字は否定の言葉を述べようとするが、すぐにそれをやめた。思い当たる節があるようだ。
「おれはね。意気地がない。恋愛には臆病だ。ずっと好きだったのに。なかなか気持ちを言い出せなかった。けれど、おれの強い思いを、あの人は感じ取っていたみたいだ。だから、互いに苦しい時を長く過ごすことになってしまったのだ。ちらりとしか見かけなかったけれど、佐野くんは感受性が豊かそうな人だったね。きっとお前の思いを受け取っていると思う」
「そんなこと……あるのでしょうか?」
「自分の思いは、自分の中にしまっておくほうがいい。それが相手のため。困らせたくないって思っていたのに結果的には、そんな思いで相手を思い悩ませた。おれがはっきりしなかったからだ。もっとしっかりしていれば、あの人に苦しい思いなどさせなかった」
「ダメなことはわかっているとしても、それは明らかにしたほうがいいのかもしれない。お前だって前に進まないと。いつまでも過去にとらわれている必要はない」
十文字はしばらく黙り込んでいた。余計なお世話だったのではないかと心配になった。だが。十文字の目はきらりと光る。なにかを決心した男の目だった。
「おれ、なんでもかんでも中途半端ですね。恋愛もそうだけど。仕事もそうだ。こんな話をしている場合じゃないです。田口さん。企画書の直し、よろしくお願いします!」
田口は頷いた。十文字は成長してくれている気がする。泣きべそかいて、寝不足でボロボロだけど。
——頑張っている。頑張るのが嫌いって言っていたクセに。頑張れるじゃない。
最初の見立ては訂正だ。
——彼は立派な男。
文化課振興係の一員だ。
「もう少しだ。頑張ろう。残業なんかさせないから。さっさと時間内に終わらせてやる」
「はい! ありがとうございます!!」
十文字は表情を明るくし田口を見た。自分を育ててくれる保住が、思い悩んでいた姿を思い出す。
——後輩を育てるって難しい。
保住は様々なことを難なくクリアしてしまうので、自分のような落ちこぼれに指導するのは難しかったのではないかと思う。自分が出来ることと、それを人に教えるということはまた違う作業だ。
——おれの教育の時は、苦労したのだろうな。
その立場になって初めて知る。温かい気持ちを覚えながら、十文字の企画書づくりに付き合った。
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