第3話 再会
「今日は災難だったな」
田口はハンドルを握り、十文字を連れて星野一郎記念館へ向かっていた。結局、サロンコンサートの初稿が通らないのだ。田口の指導をもらいながら作らなかったから―—どころの話ではない。そもそも内容にも不備があったようだ。
十文字は音楽の経験者であり、要領のいい男だ。この企画も難なくこなすのかと思っていたのだが……。報告書一つで躓くくらいだ。田口の見立てはどうやら外れていたらしい。やっぱりだめはだめなのだろう。
先輩としてできることは、自分がしてもらったことくらい。保住が記念館を堪能させてくれたことを思い出し、田口は十文字を連れていくことに決めたのだ。
しばらく静かにしていた十文字だが、ふと田口に頭を下げる。
「すみませんでした。なんかおれ。ダメばっかりですね」
「そんなことはないだろう。係長はどうでもいい人間に時間を割くことはしない。お前の書類を熱心に見ているんだ。期待しているんだと思うよ」
「でも。おれだけです。こんなに一つの仕事に時間かかっているの」
田口は苦笑した。
——おれもそう思っていたんだよ。十文字。
初めてここに配属されたとき。自分の書類はダメ出しの連続だった。渡辺たちがすごく優秀に見えた。なぜ自分だけ。そう思ったのだ。けれど、それも今となってみると懐かしい気持ちだ。十文字は今まさに、あの時の自分と同じ経験をしているのだ。
——それを乗り越えたときに見える景色は、今までとはがらり変わっているんだ。十文字にもそれを経験してもらいたいって思うのは、自分勝手な思いなのかな。
黙り込んでいる田口をどう捉えたのか。十文字は再び「本当にすみません」と頭を下げた。田口は駐車場に公用車を停めると、十文字を見た。
「係長はできない奴に、できないことを求めることはしない。お前にこの仕事を渡したってことは、できると踏んでいるからだ。締め切りを過ぎても待っていてくれるのは、お前の可能性を信じているという証拠だ。——大丈夫だ。悩んで悩んで悩み抜いた先に道は開かれる。経験者だ。おれもサポートするから。頑張れ」
彼はじわっと涙を浮かべた。
「田口さん……」
二人は車から降りる。記念館の駐車場は星音堂と共有だ。記念館に向かうには、一度歩道に出る必要がある。いつものように、歩道に出る入り口を目指していると、田口のスマホが鳴った。相手は振興係。田口は慌ててスマホの通話をタップする。十文字は不思議そうに振り返ったが、「先に行ってて」と小声で伝えた。彼は「わかりました」と頷くと、歩道に歩き出す。
相手は谷川だった。記念館から書類を受け取ってくるように、という内容だった。田口はスマホを鞄にしまい込むと、慌てて十文字を追いかけて歩道にでた。しかし——。
記念館に到着していると思われた十文字がまだそこにいたのだ。彼は歩道で見慣れない私服の男と立ち話をしている。
男は十文字に笑みを見せるが、十文字のほうは暗い顔色をしていた。田口は思わず「十文字?」と声をかけた。彼は弾かれたように顔を上げた。
「すみません。田口さん」
「知り合い?」
「すみません」と十文字は頭を下げる。相手の男も「仕事中だね」と言った。
「高校時代の知り合いです。ばったり出会って」
「そうか。なら連絡先でも交換したらいいじゃない? 時間もないことだし。改めて。ね?」
田口の促しに、二人は視線を交わすと、スマホを取り出して連絡先を交換した。それから男は頭を下げて去っていく。それを見送る十文字の横顔は、並々ならぬ感情があるのではないかと思った。
「高校同じだったのか?」
「いいえ。違う高校だったんですけど。部活動関連で」
「そう。改めて連絡を取るといい。懐かしい話をするのも、時には心の栄養になるね」
十文字は小さく頷くと、そのまま歩き出す。彼にとってうれしくない再会だったのだろうか。田口は「余計なことをしたのではないか」と心配になったが、いやなら交換しなければいいだけの話。交換するかしないかは自分たちの意思だ。あまり気にするもよくない。それよりも仕事に切り替えていかないといけないのだ。
田口自身、余裕があるわけではない。みんなの足を引っ張らないように、十文字の面倒を見ながら自分の仕事もこなさなくてはいけないのだ。自分を戒めながら、田口は記念館の扉を押した。
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