第7話 答えは一つ



 田口は保住の腕を引いて、夜道を歩いた。「本当にこれでいいのか」と何度も何度も何度も自問自答した。


 自分は保住が好きだ。彼を目にしただけで、心躍る。彼の存在自体が、田口の幸せ。なのに。今はそれが逆に働いていた。自分がそう感じるのだ。彼もまた、自分の存在を重荷に感じているのではないか。


 ——おれは、貴方を好きになってよかったのだろうか。おれなんかよりも、もっと。貴方を幸せにできる人がいるのかもしれない。おれは……。


 ただひたすら夜道を歩いていると、興奮していた気持ちは、一気に萎えた。だが、保住は黙って田口に腕を引かれていた。それだけが救いだ。


 今もし、彼が田口の手を振り払ったら。追いかけていく気力はないだろう。いつもは何も感じられない我が家への道のりは、とてもとても遠く、永遠に続くように感じられた。


 田口は、自分のマンションに保住を連れ込んだ。彼がここに来るのはいつぶりか。そんなことを考えながら、保住をソファに座らせた。


「保住さん。なにをそんなにイラついているのですか? 貴方らしくもない」


「イラついてなどいないだろう? なにをバカなことを。おれはいつも通りだ」

 

 保住は不機嫌そうに視線を逸らす。しかし、ここにいるということは、田口とは話す意思があるということ。田口はそれを察して、険しい表情を崩した。それから、保住の目の前に跪く。


 下から覗き込んだ彼の表情は、視線が泳ぎ、今にも泣くのではないかと思うくらい目元が朱に染まっていた。


 澤井と初めて寝た時も、こんな形で話をしたことを思い出す。田口は声色を和らげて彼の名を呼んだ。保住は弾かれたように目を見開き、ふいっと視線を外した。


「十文字に八つ当たりしたのではないでしょうね?」


「あいつが悪い。おれの指示を守らない」


「優秀な新人です。先輩の力などに頼らずに初稿を出した。おれは貴方の手を煩わせたのに」


「優秀などあるか。おれはと言ったのに」


 ——そうか。おれに気を遣ってくれていたのか。


 田口は思わず笑みがこぼれた。「なぜ笑う」と保住は不本意そうに言い返した。


「嬉しいのです」


 素直に気持ちを口にした瞬間。保住はますます目元を赤くした。


 ——ああそうだ。素直になればいい。気持ちを。こうして自分の気持ちを貴方に伝えることが大切だったんですね。


 黙っていてはなにも伝わらない。いくら保住を思っても、それを言葉にしなければ意味がなかった。そういうことだ。


「十文字と食事をしに行ったこと。なぜおれに言ってくれないんですか」


「お前にいちいち言う必要はなかろう。保護者でもあるまいし……」


「いいえ! おれはただの部下の一人なんですか? 恋人ではないということですか?」


「それは……」


「貴方がおれの知らないところで、別の誰かと二人きりで過ごすこと、おれは良しとしません。心配になりますし、ヤキモチを焼きたくなります。けど。おれはカッコつけて。そんな気持ちを貴方には言いませんでした。すみません。おれがはっきりしないから」


 田口は真っ直ぐに保住を見つめたが、保住は視線を逸らしたまま答えた。


「お前は関係ない。これは……おれ自身の問題だ。——わからないのだ。付き合い方が。お前にどう言ったらいいのか。どうしたらいいのか、わからない……」


 最後の方は消え入りそうな声色に、田口は「保住も悩んでくれていたのだ」ということを確信して嬉しい気持ちになった。


「おれたちのこと、考えてくれていたんですね」


「考えない時があるか。お前のことばかり気になるのに。無視するわけにはいかない」


「そうですか」


 保住は顔を赤くして視線を彷徨わせる。


「すまない気持ちばかりだ。お前には八つ当たりはするし、我がまま言い放題。仕事の穴まで埋めてもらって」


「悪いと思っています?」


「思っているに決まっているだろう」


 田口はそっと保住の両手を握る。


「てしたら。貴方をおれにください」


「な、なに?」


 ——そうだ。おれの気持ちを伝えればいい。変な駆け引きなんてできっこない。おれはおれの気持ちを、保住さんにぶつける。


 田口は真っ直ぐに保住を見据えた。


「貴方の体調が心配で……っていうのは言い訳です。意気地がないだけだ」


 田口は保住の腰に腕を回して抱き寄せる。保住の匂いが鼻先を掠めた。田口は彼の存在を確かめる。本当に彼がここにいてくれることが嬉しかった。




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