第2話 受け入れられない
——気にするな。いいんだ。これで。保住さんは、純粋に十文字を育てようとしているだけなんだから……。
業務上とは言え、保住が十文字を連れて歩くのは面白くない。保住との関係性が一向に進まないことが不安の原因だ。
必死に十文字の面倒を見ている。それは十文字と数年前の自分が重なって見えて、放っておけないということもあるが、保住に褒められたいという気持ちもゼロではない。けれど。保住からは田口へのねぎらいの言葉は一つもない。
保住がそう易々と、田口に謝辞を述べるとは考えられない。そんなことはわかっていた。仕事なのだ。十文字の面倒を見るのだって、田口の業務の一環だ。それは理解している。けれど―—。色々なことが不安になっていた。
——保住さん……。
十文字が成長してくれるのは嬉しいが、自分が必要とされなくなるのではないか、彼に取って代わられたらどうしようとか。そんなことばかり考えてしまう自分が浅はかで嫌になる。十文字の仕事は進んでも、自分の仕事が
十文字は確かに慣れていないこともあって、たどたどしいところばかりだが、それでも田口よりは要領が良くて飲み込みも早い。
——おれはきっと。十文字にあっという間に追い越される。
田口はそんな危機感、焦燥感を覚えていた。そして、それは夕方。さらに深刻な状況に陥った。財務との話し合いから戻ってきた十文字が、保住の隣にぴったりとくっついて離れないのだ。
「先ほどの質問は、どういう意図なのでしょうか?」
自分の椅子を引っ張って行って、十文字はメモを片手に保住に食らいついていた。しかも、いつもはめんどくさがるはずの保住も、珍しく十文字の問いに答えている。田口は気が気ではなかった。
「財務の人間はどんなものでも金に換算してものを考える。人、モノ、時間、全てだ。だから、ああいう質問をした」
「なるほど。ですが、あんなものの言い方をしたら、怒らせてしまうのではないでしょうか。現に、あの人。顔を真っ赤にしていましたよ」
「交渉の席では、相手の感情を揺さぶるのも一つの手だ。あまり怒らせるのはよくないが、多少揺さぶりをかけておくと不安な気持ちが膨らむ。そこを狙えば、すんなり落とせることもある」
「そっか。わざと怒らせるようなことを言うのですね」
「まあ、わざわざそうしなくても、おれの物言いだと怒る
「そうでしょうか。係長はいつも正しいことを言っています」
「だからだろう。世の中は正論だけでは渡り歩けない」
「確かにそうですね。正論は諸刃です」
十文字は妙に納得したように、深く頷いた。保住は笑みを見せる。
「お前も、おれと話すときは覚悟しておけ。おれはそういう細かいことは気が付かないタイプだからな」
「打たれ弱いです。勘弁してください」
「慣れろ。気配りは出来ない」
「キツイですねー」
二人の話が盛り上がるのを横目に、田口の気持ちはどんよりとした沼のようになっていく。まるで闇の中に放り出されたみたいな気持ちになっている田口のことなど、気が付かないかのように、渡辺は「おれたちも慣れたから大丈夫だ」と口をはさむ。保住は目を瞬かせて不本意そうに言った。
「そんなに皆さんを傷つけるようなこと、言っていますか」
「大丈夫ですよ。係長ですから」
「それって、どういう意味なんですか」
「まあまあ」と谷川も話に混ざる。田口以外の人間が、朗らかに笑っている。まるで自分だけが場違いなところに来てしまったような違和感を覚えた。
田口は進まない自分の仕事に戻ろうと視線を戻す。今年担当になった
田口は星音堂からの報告書を眺めながら、イベント出演者への依頼状を作成している最中なのだが。これがなかなか進まないのだ。人の心配をしている場合ではないとわかっていても、どうしても保住と十文字のことが気になって仕方がなかった。
「田口」
ふと保住に呼ばれて顔を上げる。
「依頼状の初稿、まだか?」
「すみません。作成中です」
「今日中だぞ」
「すみませんでした」
「謝罪を聞きたいわけではない。さっさと初稿を出せ」
保住は興味もなさそうに、パソコンの画面に視線を落とした。
進まない。
進まないのだ。
自分の仕事が、はかどらない。
みんながこうして仲良くしているのはいいことであるはずなのに。
——どうしてだろうか。
十文字を仲間として認めなくてはいけないのに。彼を心から受け入れられない自分がいる。それがまた、嫌な気持ちになる。まるで自分がダメな人間に思えるのだ。
十文字はいいやつだ。最初は自分とは違う価値観に戸惑いを抱いたが、こうして田口の話を素直に聞いてくれて、そしてぐんぐんと成長していくことができる。文句のつけようもない男だ。だからこそ。田口は不安になっていた。
頭を振ってから、なんとか自分の仕事に気持ちを戻す。自分自身のやるべきことをやらなくてはいけない。今の自分にできることはそれだけしかなかったのだ。
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