第6話 口げんか
「くそ! あいつ。無駄に時間を伸ばして……残業代をせしめようとしているに違いない」
長時間、同じ姿勢でいるのはまだまだ辛い。長引いた原因を作った男を思い出すと、ムカムカとして腹が立った。
保住は会議を終え、腰を押さえながら事務所に戻ると、まだ電気がついていた。こっそり中を覗くと田口と十文字が必死の形相で話をしていた。
「おれは、そうは思わない」
田口に十文字が食ってかかっていた。
「では、どう思うのですか? 田口さんの考えを教えてくださいよ」
「いいか? この企画はそもそもそういう目的で始まっているのではないのだ。だからこの評価では的が外れる」
「あ! そうか。そうかもしれません。目的とは逸れる。そう言われるとその通りです」
「では当初の目的、評価基準はどこだったのか?」
「えっと……」
——田口は随分成長したものだ。
初めての企画書で、大泣きをして大騒ぎをしたことがつい最近のように思われる。それがどうだ。こうして後輩の指導を立派にこなしているではないか。もしかしたら、自分よりも断然上手いかもしれない。
少し軽い、今時の十文字もいつの間にか、田口のその熱心な指導に巻き込まれて、目付きが違っていた。なんの面白味もない男だと思っていたが。田口とのコンビはいける。
二人は保住がそこにいるとも気がつくこともなく、熱心に言葉を交わしていた。そっとしておいてあげたいのは山々だが、こうしてじっとしていると、やはり腰は痛む。早く横になりたいと思った。中断させると判断をし、保住は扉を開けた。
「お疲れ様です」
田口は顔を上げる。十文字も頭を下げた。
「もうこんな時間だ。明日もある。帰るぞ」
「しかし」
「お前たちの熱意は認めるが、こんな遅い時間の議論は効率が悪い。明日にしろ」
十文字はもう少し話したいという顔をしているが、田口は保住に賛同した。
「明日も付き合う。帰ろう。十文字」
「わかりました」
二人は帰宅の準備をする。その間、保住は腰をさすりながら、書類を机にしまい込んだ。
「腰、痛みます?」
「問題ない」
「そうは見えませんけど。送ります」
「いい。一人で帰れる」
「でも」
「過保護にするな」
「過保護だなんて。いけません。運転も危ういです」
二人の押し問答を黙って見ていた十文字は、ぼそっと呟く。
「本当に仲睦まじいですね」
「そんなはずはない」
「ただの上司と部下です」
一斉に二人が否定するところも笑えると、ばかりに十文字は更に笑った。
「あの~……」
「なんだ」
「田口さんの係長愛はわかりましたから、お先に失礼させてもらっていいですか?」
「な、」
田口は顔が真っ赤だ。
「後は田口に締めさせるから帰っていいぞ」
保住の言葉に十文字はペコリと頭を下げた。
「すみません。お邪魔みたいだから。お先に失礼いたします」
「お疲れ」
彼がさっさと帰るのを見送って、保住は田口を見上げた。
「お前のせいだぞ。変な誤解を招くようなことは控えろ」
「誤解を招くようなことなんかしてませんよ」
「しているからこうなるのだろう」
「いいじゃないですか。おれは保住さんを上司として尊敬しているのです」
「田口」
また揉め事に発展しそう。お互いに疲れているときはいつもそう。田口は保住の腰に腕を回して彼を引き寄せてきた。疲労が蓄積されているところへ、彼の匂いは心が落ち着くはずなのに、逆にざわざわと胸が高鳴った。
「田口」
「今日はおれの家に行きましょう」
「無理だ。今日は、腰が痛む」
本当はこうして田口と一緒にいたいと思っているくせに。甘えたい気持ちが沸き起こるのかも知れない。気持ちとは裏腹な態度を取って、田口を突き放す。
「大丈夫です。変なことは一切しませんから」
「一切どころか、一度もないがな」
「それは、あなたが怪我をしていたからでしょう? そんなことを言うなら、させてくれるということでしょうか」
「何を馬鹿なことを。治ったとは言え、こうしてすぐに痛むのだぞ? お前になんて付き合えるか」
餌をぶら下げられている犬みたいな顔をする田口。彼が悶々としているのはよくわかっていた。結局、二人の関係はキス止まり。付き合って、半年以上がたつというのに、なにも進展しないだなんてと悩んでいるようにしか見えない。
だがしかし。機会を失っているのだ。どちらから、というきっかけがあるわけでもなく、しかも骨折をした場所は、本調子ではない。体調もイマイチだと、別に無理してまでという程のことでもない。
田口は好きだ。だが、どこまで、どう付き合うかと言うことを考える余裕もなかったのだ。
「でも、今日はおれの家です。もうこんな時間ですから」
「着替えがない」
「だから、着替えを持ってきてくださいと言っているでしょう?」
「面倒なことを言うな」
結局、文句を言っても始まらないのは、お互いがわかっていることなのだが、痛みでそれどころではない保住は、さっさと廊下に出る。消灯をした田口が慌てて着いてくる気配を感じた。
自分でもずるいことをしているとわかっている。どんなに突き放して、八つ当たりをしても、こうして彼が自分の後を追いかけてくるのを知っているのだ。
まったくもって性格が悪い。そう自覚しているくせに、相手が田口だと甘えてしまう自分がいることにも腹が立った。大事にしなければならないのだ。それなのに。
保住は自分自身に腹を立てながら、庁舎を後にした。
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