第3話 お留守番


 新しいメンバーで始動した振興係。5月。新緑が目に眩しい季節だ。保住の腰の状態は随分と良くなっていた。コルセット生活からも解放され、体調も回復している。


 しかし澤井がいないだけで、こんなにも仕事が捗るのかと驚いてるところだった。随分と彼に時間を割いていたということがわかる。


 新しい課長は、少し風変わりな風体をしてはいるものの、ニコリともしない生真面目な男だった。まだ出会って一か月。互いの腹の中を探っている段階だが、澤井と比べたら、それもどうでもいい話だったのだ。


「十文字。外勤」


 保住は書類をカバンにしまうと、十文字を呼びつけた。十文字と言う男は要領がいい。田口が来たばかりの頃と比べると——。なんだか笑ってしまうくらいだ。


 だが。手のかかる子ほど可愛い、とはよく言ったもの。あまりにも手がかからないおかげで、面白味がない。と保住は思っていた。


「外勤! 外勤ですね。お供します。どちらに?」


「記念館だ。お前が担当だろう?」


 十文字は慌てて立ち上がった。保住は椅子に掛けていた上着を取り上げて着込んだが、ふと視線を上げると、田口が寂しそうにこちらを見ているのに気がついた。


 ——仕方がないだろう。全てにお前を連れていくことはできない。


 保住は苦笑した。


「田口、留守番しっかりしていろよ」


 それを聞いて渡辺と谷川が笑った。


「本当だ。飼い主においてかれた犬みたいな顔すんなよ」


「コンビニの前でさ。リードに繋がれて置いてきぼりにされてる犬だな。田口~」


「や、やめてください。そんな顔していません」


「やだやだ」


 二人にからかわれて田口は俯く。そんな様子を見ていると自然に笑みが溢れた。


「準備できました」


 十文字が声を上げたのを合図に、保住は歩き出した。


「運転しろ」


「はい」


 保住は十文字を従えて事務所を後にした。



***



「いってらっしゃい」


 渡辺や谷川は口々にそう言っていたが、田口はなかなか言葉が出ない。ただじっとして二人が出て行った扉を見つめていた。すると、「なんか言いたそうだな。田口」と渡辺が茶化してきた。


 けれど、笑えない。だって……。


「——おれは一年間運転させてもらえませんでした」


 そうだ。保住は自分にハンドルを渡してくれなかった。なのに。まだ一か月の十文字には「運転しろ」と言ったのだ。なんだかショックだった。田口は大きくため息を吐いた。


 渡辺や谷川は「そんなこと」と言うけれど。田口にとったら大問題だ。自分は保住になかなか信頼してもらえなかったと言うのに。


「やきもちか?」


 ふと谷川が言った。田口は、はったとして、首を横に振る。


「ち、違います。そういうのでは……」


「いいや、そう顔に書いてあるぞ!」


 渡辺も笑う。


「十文字は地元民だからな。ああだこうだ言わなくてもわかるから楽なんだろうさ」


「おれだってわかります」


「ああ、いじけだ。いじけ」


「面倒だな」


 田口の心は荒れ模様。仕事なのだから仕方がないのだ。保住が十文字を連れて歩くのは当然のこと。自分も保住に連れて歩いてもらっていたからだ。


 ——しかし……保住さんが十文字を連れて歩くのは、面白くない。


 保住との関係性はなかなか一線を越えることができない。今までは体調不良を言い訳にしていた自分の気持ちが隠しきれない。


 意気地がないのだ。保住との関係性を前に進めたい反面、どうしたらいいのかわからない不甲斐なさ。情けなくて情けなくて。自分に自信が持てない。だから余計に、十文字より劣って感じるのだ。


 田口は大きくため息を吐いてから、パソコンに視線を落とした。







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