振興係三年目編

第17章 三年目、はじまります!

第1話 新しい仲間

 文化課振興係。田口の三年目が始まった。


 昨年度末に開催された……と言っても昨日の話なのだが。そのオペラの初演は大成功を収めた。


 世界的に有名な指揮者の関口圭一郎と、その妻であるソプラノ歌手の宮内かおり。そして、圭一郎率いる、ゼスプリ交響楽団。梅沢出身の作曲家、神崎かんざき菜々。


 世間が、錚々そうそうたるメンバーの出演を放っておくわけがなかった。当日は、全国からのクラシックファンが詰めかけ、当日券の販売所には長蛇の列が連なった。そのため、チケットを手にすることができなかった観客のために、別ホールでのライブ中継を鑑賞してもらう対策が取られた。


 市役所職員だけでは、とても対応仕切れなかったアクシデントも、圭一郎関係のイベント慣れしているスタッフの助けがあり、なんとか乗り切った。


 澤井は念願の副市長行き。課長の佐久間が、スライドして事務局長に就任した。矢部は水道局へ異動となり、振興係には新しい職員がやってきた。


十文字じゅうもんじ春介しゅんすけです。前職は市民安全課戸籍係です」


 おしゃれなツートンカラーの眼鏡。身長は、田口より少し低いくらいだから、ほかの職員よりは長身だ。体格もスラリとしていて、まるで紳士服売り場のマネキン人形みたいな男だった。


 彼をマネキンに見せる一番の理由は、その服装だった。今までの振興係には似つかわしくないほど、お洒落なタイプだ。薄水色のシャツに合わせられた濃紺のネクタイは、若い割に落ち着きを見せていた。派手なお洒落ではなく、シックに決めてくるタイプ。外見にお金をかけているということは、一目瞭然だった。


 田口はすごい後輩が来たとばかりに緊張していたが、真面目な挨拶には目もくれず、保住は手を振った。


「よろしく。十文字」


「よろしくお願いします!」


 十文字はまじめに頭を下げて返す。自分は、保住と初めて出会った時、かなり唖然としたものだが。十文字はさほど気にしていないらしい。ただ淡々とみんなに頭を下げた。


 保住は腰をさすりながら辛そうに顔を顰めた。オペラの際、無理を押したせいだ。ここ数日は帰宅をすればすぐに横になる。起きているのがやっとのくせに。「新年度が始まるのだ。課長も変わる。休んでいられるか」の一点張りだ。


 田口からすると、彼には休息が必要だと思っているのだが。田口の言う通りにする人ではないということも理解している。


 矢部が抜けて、席順が変わった。新しい職員は田口の席に座る。田口は保住の隣、谷川が座っていた席に移動し、十文字と並ぶ形だ。谷川は矢部の席への移動だ。


「仕事のことは、田口に聞くように」


 保住はそう言うと顔をしかめてから立ち上がった。痛みのせいなのか。新人教育は田口が任されるようだ。田口は目を丸くするが、谷川は「当然だろう?」と苦笑した。


「一番、身近な先輩じゃん」


「そんな」


 困ったオーラの田口を横目に、保住は微笑を浮かべるばかりだ。


「新しい課長と、佐久間局長のところで打ち合わせだ。後はよろしく」


 澤井が局長だった時は、局長室に足がなかなか向かなかったが、佐久間だと気持ちも違うのだろう。保住はそろそろと不自然な動きをしながら、事務所を後にした。


 それを不思議そうに見送ってから、十文字は田口に頭を下げた。


「田口さん、よろしくお願いします」


 今までは自分が下っ端で、上にだけ気を使っていれば良かったから楽だったが、これでは上と下に挟まれる構図だ。渡辺が茶化す。


「これも中堅の役目だ。田口も次のステージだな。そういや、十文字は音楽経験ありなの?」


 渡辺の問いに、彼は頷いた。


「高校、大学と合唱部でした」


「なら話は早い」


 ——自分よりも博識家か。舐められないようにしないと。


 田口はため息を吐いた。なにも張り合う必要もないのだろうが。先輩の意地が出てくるのか。


「あの。保住係長は、随分とお若いようですね」


 十文字の問いに田口は答える。


「若く見えるけど、おれよりは年上」


「田口さんは、おいくつですか?」


「31です」


「先輩ですね。おれは29です」


 四人は笑を見せながら言葉を交わす。三年目になっても、わいわいがやがやで和やかな雰囲気は健在だ。矢部が抜けることに一抹の不安があったが、このメンバーでなんとかやって行けそうな気がした。


 ふと視線を戻すと、保住の席が視界に入る。


 ——保住さんの隣りだ。なんだか近い。


 今までは谷川が間にいたから、なんだか嬉しい気持ちになる。物理的に近しくなるのは、この上ない喜び。じんわりと喜びが出てきた瞬間でもあった。


 しかし、そんな感慨に浸っている田口を取り残して、その間にも話しは進んでいたようだ。「な、田口」と渡辺に声をかけられて、はっとして顔を上げる。


「すみません。ぼんやりしていました」


「いや、大した話じゃないけど。係長が骨折した話していたとこ」


「ああ」


 十文字は田口を見る。


「だから動きが怪しいのですね」


「怪しいか」


 笑ってしまう。


「挙動不審だけど……前屈みが出来ないし、コルセットがまかれていて、細かい動きが出来ないみたいだ。だから、屈む時は垂直動きだし」


「そうそう。ダラダラした感じがなくていいんじゃないの?」


 谷川の話に渡辺が同意する。


「確かにな。十文字。係長はだけどやり手だ。しっかり着いていかないと。振り落とされるぞ」


「あんまり頑張るのは好きじゃないけど、出来る範囲で頑張ります」


 今時の若者的なコメントなのだろうか。十文字と言う男は悪い人間ではなさそうだが、どうやら田口のポリシーとは合わないところがありそうだ。だが、まだ何事も起きていないのに、心配ばかりすることは無駄なことにも思える。まずは後輩と、仲良くすることから始めなければ。


 田口はパソコンを立ち上げてから、期待と不安が入り混じる気持ちを押し込めた。




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