第9話 レセプション

 

 夜はレセプションが開催された。明日の本番を前に、ホテルのワンフロアを貸し切り、市内の文化活動に携わる人が、ほぼ顔を揃えていると言った大掛かりなものだった。


 明日の本番は、始まってしまえば出演者にお願いする他ない。どちらかといえば、仕事の山場はこのレセプションの開催であった。


 保住は受付にいた。様々な来賓が押しかける。いかに滞りなく受付をさばくかだ。澤井はすでに到着している来賓の相手をしている。現場の責任者として、受付を担当し、会が始まれば進行につく。


 腰の痛みがじわじわとからだ。蝕むが、そんなことを気にしているほど暇ではなかった。進行係のメンバーたちとやってくる客たちに頭を下げていると、エレベーター周囲がにぎわっていることに気がついた。


 ——市長の到着か。


 梅沢市長は、安田という。安田は三期目。10年以上に渡って市長の椅子に座っているおかげで、すっかり馴染みのある市長だった。


 就任当初は選挙公約の達成に躍起になり、職員とよくぶつかっていた、と聞くが。今となっては、馴れ合いの関係性だ。特に澤井のことがお気に入りで、このオペラ開催が終われば、澤井は念願の副市長の座に座ることになっている。


 先ほどまで、来賓対応をしていた澤井が駆けていくのが見える。


 ——あの男でも、権力の前にはああいう態度を見せるのか。


 澤井は堂々と市長の前に歩み寄り、そして硬く握手を交わしている。市長と一緒に姿を現した秘書や、他の職員たちなどは眼中外だ。


 力ある者だけが生き残る。それが市役所という組織。


 安田は小柄で恰幅がいい。少し薄くなった髪を撫でつけて、焦茶色の背広を着ていた。彼の後ろには、保住とそう年齢も変わらない男がピッタリと寄り添う。安田の施設秘書だ。噂によると、彼の甥にあたるらしい。縁故採用など、無能な証拠。保住は目を細めてその様子を眺めた。

 

 安田はご機嫌の様子だ。しきりに笑顔で話をしている様子だ。この事業はお祭り騒ぎだ。人気が下火になってきた安田の株を上げるにも一役買うだろう。


 保住は来賓対応に戻ることにする。しかし受付前を通り過ぎる際、澤井が「保住」と自分の名を呼んだ。


 この忙しい最中、なんの用があるというのだ。少々苛立ちを覚えながらも、一緒に立ち止まった安田に会釈をしてみせた。


「市長。この事業の中心として活躍してくれている文化課進行係長の保住です」


 ——来賓の相手は、澤井と決まっている。余計な手間を取らせないで欲しい。


 そういう意味合いを込めて澤井を見据えると、彼は「黙っておけ」と言わんばかりに、その視線を無視した。


「聞いているよ。澤井くんの懐刀。そして、あの保住くんの息子か」


 安田は、「おお」と嬉しそうに笑顔を見せて、保住の元に歩み寄った。


 ——父を知っているのか。当然だな。あの人が健在だった時から市長の席に座っていた男だ。


 保住の父親は、確か亡くなった時は、秘書課に属していたはずだ。 


「君のお父さんには、随分と世話になったんだよ。彼が秘書課長をしてくれたおかげで、職員のこともよく教えてもらったしね。こうして、市長続けられているのも、君のお父さんのおかげだな」


「保住尚貴なおたかです」


 安田は保住をじっくりと眺めてから、澤井に囁く。


「そっくりだね」


「ええ。似ておりますね」


 少し屈みこんだ澤井はそういうと、口元を緩めた。市長は軽くうなずくと保住に視線を戻した。


「私は結果が全てだと思っているんだ。結果さえ出してくれれば好きなことをしてもらって構わないのだよ」


「はい」


「ただし、失敗は許されないけどね」


「承知しております」


 保住の返答に満足したのか。安田は、澤井を見上げて笑った。


「君に似ていい部下だ」


「ありがとうございます」


「じゃあ、またね」


 彼はひらひらと軽く手を振ると、廊下の奥に消える。頭を下げてそれを見送ると、近くにいた田口が近寄ってきた。


「市長ですね」


「気味の悪い男だ。好かん」


「同感です」


 二人で話をしていると、今度は少し高音の柔らかい声が響いてきた。


「保住くん。この度は、おめでとうございます」


 振り返ると、そこには県庁職員の菜花なばなが立っていた。彼はよそ行きな雰囲気で、のんきな調子だ。こういう場所に来ても、気後れしない度胸が据わっているということだ。保住はなんだか笑ってしまった。


「菜花くん」


「こんな錚々たるメンバーが集まるレセプションにまでご招待いただいて。嬉しい限りです」


「来ないかと思いましたけど」


「他のだったら来ませんけど。保住くんの頼みだし。それに、結構、面白い企画だし。いい先生たちともコネクション作れそうですもんね」 


「一石三鳥くらいの話でしょう?」


「それを見越して誘ってくれたんでしょう?」 


 うふふと笑う菜花は、愛らしい笑みを浮かべた。悪巧み的な話を、さも愉快そうに話す保住と菜花は、やはり同じタイプの人間であると確信が持てる。菜花となら、いろいろな企画がスムーズに進み、仕事もやりやすい。


「菜花さん、うちの新人の田口です」


「田口です。どうぞよろしくお願いいたします」


 菜花は、にこにこっと田口を見上げた。


「わー! 背高い! とても新人くんには見えないですね! 県担当の菜花と申します。どうぞよろしくお願いいたします」


 彼は田口の頭のあたりに手を伸ばして笑う。初対面でこれでは、さすがの田口も苦笑いのようだ。『菜花は、保住と同じくらい変わっている』としか言いようがなかった。


「せっかくですから、出演者をご紹介しましょうか」


「それはありがたい。いいんですか?」


「勿論ですよ」


「やっぱり保住くん、わかってるな~」


「田口、ここ見ておいて」


「しかし……」


 なにかを言いたそうにしている田口を置いて、保住はすまない気持ちのまま歩き出した。そばにいる約束をしたばかりなのに。そうもいかない自分の立場に、少々、後ろめたい気持ちを抱いたのだった。



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