第6話 全員集合!
毎晩。保住を自宅に連れ帰るのが一苦労だった。一日中無理をするのが祟るのか。それとも田口と二人きりになると気が抜けるのか。仕事が始まっても本調子ではない彼は実家にいたのだが。
庁舎を出る頃には、保住は一人では歩けないくらいに疲弊していた。みんなが帰った後、田口は保住を抱えて帰宅させていた。
言いたいことは山ほどある。安静にしていれば、回復も早いはずなのに。無茶ばかりする。みんながいる間は、転倒前と何一つ代わりないふりをして仕事をするのだ。
呆れてしまうが、仕方がない。田口の心配は保住にとったら余計なお世話なのだろう。仕事復帰をした彼は、今までの休みの穴埋めをするように無我夢中だったから。田口の声など耳に入るわけもないのだ。田口は苛立ちを募らせていた。
そうこうしている間に、オペラ上演前日を迎えた。会場となる梅沢文化センターには、オーケストラや合唱団などが集まり、沢山の人でごった返していた。
「谷川。宮内かおりはまだか」
渡辺はイライラとした様子で腕時計を見た。主役であるソプラノ歌手の宮内かおりの到着が遅れている。今日はこれから、最初で最後のゲネプロが控える。そう、今日初めて神崎のオペラが関係者に披露されるのだ。
関口圭一郎のオーケストラしか聞いていない田口。そこに歌がつくとどんな感じになるのか。興味深々だった。それ以上に、他のメンバーたちはオーケストラすら聴いていないのだ。興奮するのも無理はない。
「矢部さんが駅まで迎えに行ってますが、なんの連絡もありませんね。道が混んでいるのでしょうか?」
「改札口で出会えなかったわけじゃないだろうな」
「それなら、宮内さんから連絡がありそうなものですけど。こちらの携帯番号はお伝えしてあります」
「くそ。時間がないっていうのに。……田口、合唱団の方はどうだ?」
「全員集まっています。控え室で待機していただいております」
「そっちは予定通りだな」
三人が顔を見合わせていると、不意に素っ頓狂な大きな声がホワイエに響いた。
「いやあ、このホール古くさくて陰気だ!
視線をやると、ちょうど関口圭一郎が有田を連れて姿を現したところだ。彼はホールをくまなく見てきたようだった。佐久間が慌てて彼のところに駆け寄った。
「申し訳ありません。
圭一郎は佐久間の肩をポンポンと叩く。機嫌が悪いわけではないらしい。
「仕方ないね。——もっといいホール作らないとダメだね。考えないと」
「まったくですね。ご意見ありがとうございます」
「市長も来るって言ってたよね。話してみよう」
彼は笑みを見せる。梅沢は中学まで過ごした故郷だ、と言っていた。彼にとったら梅沢はまさに原点なのだと。何度か食事をして梅沢への思いを聞いたことを思い出していると、気がついたのか、彼は駆け寄ってきて、田口の手を握った。
「おお! 青年! よろしく頼ぞ」
「マエストロ。やっとこの日が参りましたね! どうぞよろしくお願いします」
「またまた、硬い! 君は硬すぎるのだ! だが、そこがいい!!」
よく通る声はホワイエで作業をしている他のスタッフにも笑いを誘う。いつもは総務係の手伝いに駆り出されている振興係だが、今日は逆。文化課総出でのお手伝いだ。
「ありがとうございます」
そんな話をしていると、作曲者の神崎がやってきた。
「銀太! 久しぶり〜」
「先生」
「銀太」と呼ばれている田口に、渡辺たちは苦笑いを見せた。
「おお、神崎くん」
圭一郎は神崎を見てから、嬉しそうに手を振った。
「あらやだ! 先生。ご無沙汰〜!
「桜は元気?」
「元気よ〜」
桜とは、あのラプソディの無愛想なママのことらしい。田口は首を傾げた。彼女は圭一郎とも知り合いなのか。
——あのバーはやはり謎だ。
「かおりは?」
「まだです」
その問いには有田が答えた。『かおり』とは、ソプラノ歌手の宮内かおりのことだろう。保住の強引な推しでキャスティングされた彼女だが、会うのは今日が初めてだ。
——それにしても、音楽家はみんな知り合いなのだな。
そんな事を考えていると、よく通る黄色い声が響く。
「ごめーん、遅くなって」
「遅くなりました!」
矢部は汗を拭き拭きやってくる。田口は姿を見せた日本を代表するプリマドンナを注視した。
声楽家と言うと、ちょっとふくよかな女性を想像しがちだが、彼女は痩せ型。しかも、クルクルとカールをした茶色い髪と、ぱっちりとした目元は、愛らしい容姿だ。歌も凄いがビジュアルもいいと評判で、この業界では飛び抜けて人気がある女性だ。
噂や写真では見聞きしていたが、実際に見ると、男性なら視線が釘付けになってしまうほどに可愛らしかった。
今回の目玉は彼女の出演と、関口圭一郎の指揮。日本のクラシック界きっての、二大トップスターの共演ともなれば、マスコミも放ってはおかない。保住はそれを画策していたのだった。澤井を黙らせて、宮内かおりを起用したのは大成功だった。
かおりは、きゃっきゃと女子高校生のようにはしゃぎながら走ってくると、圭一郎に飛びついた。
「やだー、
「半年は会っていないだろうか?」
有田は答える。
「正確に言えば六ヶ月半ですね」
「元気してた?」
「この通りだ」
二人のべったりぶりに、一同は目が点になる。田口などは顔が熱くなった。それを見て神崎は笑った。
「やだなあ。銀太は純朴過ぎて、やっぱり可愛い~」
「な、からかわないでくださいよ」
音楽家というものは、人目も憚らずに他人と接触できるものかと思うと、なんとも理解できない世界だと思ったのだった。
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