第3話 痛み、貰い受けたい

 夕方。帰りの新幹線の中、佐久間は疲れ切ったのか寝入っていた。そんな彼を残して、田口はデッキに出た。平日の夕方は、新幹線の中もどことなしか静かである。


 田口はスマートフォンを耳に当てる。数回のコールの後、聞こえてくる声はかすれていた。


「終わりました。今帰りです」


 田口の言葉に、相手は『ありがとう』と言った。


「音楽の事は、わかりませんが、有田さんの話ですと順調だということです」


「あの人がそう言うなら、間違いないのだろう」


 最愛の人が、自分以外の人間を褒めるのは面白くないが、有田という男はかなりできる男だった。しかも性格も悪くはない。文句を言うところがないのもまた、面白くないと思っていたのだった。


 田口は有田のことには触れず、「次は来週末です」と伝える。今回は初めてだったので、佐久間が同伴したが、次回からは田口が一人で上京する。澤井のこの事業にかける執念は計り知れない。


 世界に名だたるオーケストラと指揮者とはいえ、本場に間に合ってもらわらないと困るというのだ。そのため田口は、保住の代わりに何度も練習会場に足を運び、有田と直接話をするように言いつけられていたのだ。


「すまないな。おれの仕事だが、どうにも行けそうにない」


「そんなことは構いませんが。それよりも、痛みはいかがですか?」


「変わりない。明日コルセットができるそうだ。取りに行くのがまた一苦労……っ」


 時折、痛そうに言葉を切る保住の様子に、田口はため息が出た。


「お供いたしますか?」


「仕事があるだろう。そんな過保護されなくていい。おれに割く時間があるなら、仕事を進めてくれ。


「しかし……」


『運転すらできないんだ。母親の付き添いなんて、この年で恥ずかしいものだが。いたし方なかろう」


「入院された方がよかったのではないですか」


 ガタンゴトンと低く響く音は心地いい。壁に背を預けて田口は目を閉じる。保住は押し黙ったままだ。電話の向こうにいる保住を思い出し、田口はポツリとつぶやいた。


「……貴方に会いたい」


「田口……」


 保住は気恥ずかしそうにして、黙り込んだ。


「明日、仕事帰りに立ち寄ってもいいですか」


「忙しいのだ。無理をすることはない」


「いいえ。是非お願いします」


 ——保住さんに会いたい。


 ——保住さんに触れたい。


「好きにしろ」


「ありがとうございます」


 ——代わってあげられたらいいのに。痛みくらい。受け取れる。


「気をつけて帰れ」


 そう言って通話は切れた。田口は暗い車窓に目を向ける。自分の顔が写っていた。保住が隣にいないことが寂しい。まるで半身が持っていかれてしまったような気がした。


 軽くため息を吐くと、次の停車駅のアナウンスが流れる。そろそろ佐久間を起こさないといけない。田口はスマートフォンを握りしめてから、客室に戻った。





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