第3話 本当に好きなのか?

「田口さんって、仕事、仕事って顔をしているでしょう? あのね。もう少し女子への配慮したらどうなの? お兄ちゃんとくっついていると、本当に婚期逃しますからね。しがない独身男性。友達も彼女もいない寂しいおじさん。それがこれだから。これは成れの果て」


 みのりは「これ」と保住を指さした。保住は「失礼だな」と不満げな声を上げた。


「成れの果てって。失礼じゃないか? おれはまだ三十を越えたところだぞ?」


「三十を越えたらおじさんじゃん。人気ないよ」


「悪かったな……」


「ほらほら。もうすぐ誕生日が来るじゃない。三十どころか、あっという間に四十になるわよ」


 みのりは容赦ない。さすが保住の妹なだけある。いや、保住よりも辛辣なことを平気で言う。田口は苦笑した。


「もうすぐ……? 保住さんの誕生日はこれからでしたか?」


 そう言われてみると、保住のことを田口は何一つ知らないかも知れない。誕生日も。血液型も。そんな細かいことを知る必要がなかったのだ。


 保住は不機嫌そうに首を横に振った。


「知らなくていい。昔から誕生日は、みんなに揶揄われる。だから嫌いだ」


「揶揄われるんですか? 一体……」


「お兄ちゃんの誕生日は、女の子の日。お雛様の日よ」


「三月三日ですか」


 保住を見ると、彼は困った顔をしていた。


「この年で気にする必要もないが。昔から笑われていた。今は、男だ、女だと分ける方がおかしい時代になったが。当時は、男のおれがひな祭りに生まれた、なんて話は笑われるに決まっている。こんなおれでもトラウマだぞ」


「可愛いでしょう?」


 保住が嫌がっているというのに、わざと豪快に笑うみのり。こんな調子では、彼女のほうこそ、なかなか恋人ができないのだろう。みのりを受け止めてくれる人は、相当できた人間ではないと難しい。


「まったく。みのりといるとロクなことにはならん。帰るぞ。田口」


 帰宅し始めている親族の間を縫って、母親を見つけた保住は彼女に声をかけた。


「おれたち帰るから」


 彼女は、いろいろな親族に挨拶をして回っていたようだ。淡いベージュのドレスは上品な出たちである。


 みのりは母親似だった。ぱっと派手な顔つきの彼女は、美人としか言いようがない。田口ですら一瞬視線を奪われた。


「あら。帰るの? 家こないの」


「田口もいるし。送っていかないと」


 田口は「すみません」と頭を下げる。


「送って行かないとって……あなたも飲んでいるんでしょう? みのりのことを一人で連れて帰るのも大変だし。いいじゃないの。田口くんも家に来れば」


「来ればって」


「あら! 昨年、田口くんの実家にお世話になったのでしょう? 御礼もできていないんだし。こんなお正月くらい、我が家でゆっくりしてもらわないと」


「母さん」


 保住は田口を見上げる。


 ——どうする? やめておけ。


 そんな顔をしていることは理解できたのだが……。田口は苦笑して頭を下げた。


「それではお言葉に甘えてさせていただきます」


「え?!」


 保住は、珍しく驚愕の叫びをあげた。自分の意図が伝わっていなかったと慌てたのだろう。しかし、知っていてなお、受けたのだ。田口は申し訳なさそうに保住に目くばせをした。


「あら、素直で可愛い子じゃない。行きましょうか」


 田口の返答に母親はご機嫌の様子だった。


「みのりはどこかしら?」


 彼女はみのりを探しながら歩き出す。それを眺めながら保住は文句を言った。


「なんで断らない。——いつもは察しがいいのに」


「すみません」


 ため息を吐く保住に田口は頭を掻いて謝罪する。


「酔っているのかな?」なんて誤魔化すけど、本当は保住の家族をもっと知りたいと思ったのだ。


「いい。お前に負担がないならそれでいい。正月を一人で過ごすのは、良く無いからな」


「ありがとうございます」


「こちらこそ、すまない」


「保住さん、遠慮は止めてください。おれ、結構楽しいんです。保住家の方々とお話をすると、おれの知らない保住さんが見えてくる。こんな嬉しいことはないんです。逆にご迷惑でしたか。すみません。わがままを言いました」


「そんなことはない。おれは、お前が嫌な気持ちになっていないのならそれでいい。ただそれだけの話だ」


 田口はそっと保住の手を取る。


「——触れてもいいですか」


 帰宅する人たちで、ガヤガヤしている廊下。インテリアとして配置されている背の高い観葉植物の影になって、周囲からはよく見えない場所に二人はいた。


「田口……」


 保住の骨ばった細い指。ぎゅっと握ったその手は、冷たく感じられた。一度は触れたその唇。告白してからというもの、まだキスもできていない。


 普通にキスをしてもいいものなのだろうか。いくら思いが通じ合ったとはいえ、同性で、そして上司と部下。そんな関係性が、田口の気持ちにブレーキをかけてくる。


 ふと開かれた唇から田口の名が洩れる度に、心はゾクゾクとするのに。


「お前は、本当におれが好きなのか?」


 保住の漆黒の瞳が田口を見上げていた。指先をなぞりながら、田口はそっと保住の耳元に口を寄せる。


「好きですよ。あなたが」


「そうか。ならいいが……」


 ——なぜ何度も確認してくるのだろうか?


 田口は「好きだ」と言っているのに、保住は何度も問う。保住には田口の気持ちがうまく伝わっていないのだろうか。お日様の匂いが鼻を掠める。このまま彼の首筋に唇を寄せたい。そう思った時。


なお! タクシー来たから帰るわよ」


 保住の母親の声に、二人は弾かれたようにからだを離した。保住は首筋まで赤い。恥ずかしいのだろうか。


「行くぞ」


 本当はもっと触れたいのに、これ以上手が出せない。


 ——嫌われるのではないか?


 澤井や大友とのこともあって、彼に負担をかけたくはない。


 ——触れたい。そして、本当はもっとそれ以上もしたい。


 肌に触れて、唇を寄せたい。キスだってしてみたい。それ以上だって……。本当は彼と繋がりたいとずっと思っているのだ。


 ——保住さんは、どんな味がするのだろう?


 田口は保住の母親に連れられて、タクシーに飛び乗った。




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