第5話 好きは止められない
楽器を演奏することに向いていないとわかっていても、諦めずに果敢にチャレンジする。野木と言う男の執念は凄まじいものだ、と田口は思った。すると、ふと野木は真剣なまなざしでまっすぐに前を見つめた。
「好きって気持ちは誰にも制限されねえ。好きって気持ちは自分しだいだと思っている。確かにおれは音楽に向いてねえ。けどよ。好きって気持ちを止めたくはないんだよ。そこで終わりにしちまったら、可能性はゼロになるってことだろう?」
野木は田口を見た。
「自分の気持ちの有り様は、自分が決める。それが大人ってもんだ。別なもので代替えなんて、できっこねーんだよ」
野木の言葉は、田口の心に深く突き刺さる。保住が好きだ。その気持ちに偽りはない。だが——今の自分はくじけそうになってはいないだろうか。
「おれはな。諦めねえ。駄目だったとしても、何度でもぶつかっていく。それが男ってもんだ」
桜は呆れたように笑った。
「本当。男って馬鹿だね」
「いいんだよ。それが男ってーもんだ」
——おれは。おれはどうなんだ?
田口は黙り込んだ。保住のためにと言い訳をして、自分の気持ちを押し隠してきた。そばにいられればいいだなんて、嘘ばっかりだ。自分がしっかりとしないから、こうして保住との関係性もぎくしゃくしてしまうのかも知れない。
——結局は、自分を守るため。自分が傷つきたくないから。
「おれは卑怯なのかもしれません」
いつのまにか、頼んでもいないのにブルーの綺麗なカクテルが目の前にある。煙草をふかしながら立っている桜が出してくれたのか。
「好きな人がいるんですけど、その人に思いを打ち明けたら、その人が困ると思って……ずっと側にいることができればいいって思っています」
「なんで、お前が気持ちを打ち明けると困るんだ? 恋人ありとか?」
「恋人はいないと思うんです。最初は……いなかったから。だけど、最近、雰囲気が違くて……人が変わってしまったような……。時間を共有する機会がなくなって、避けられてます。いや、表向きは変わりないんですけど、やっぱり避けられているんだろうな……」
「人の間の雰囲気で機微なものなんだけど、そういう勘って当たるよな」
野木は気の毒そうに田口を見る。あんなにネクタイ嫌っている保住が、きちんと締めてくるのは、なにか理由がある。それは、きっと——見せられないものがあるからだ。澤井につけられた跡を思い出す。今度もまた。澤井——なのだろうか。
「おれでは駄目なのかも知れません。あの人のことを、おれよりも知っている人がいて。おれは敵わない」
——そうだ。澤井さんには敵わない。おれよりも何枚も上手で、保住さんのことを知り尽くしている人だ。そう……おれが知らない顔も。あの人は知っている……。
「敵わないって誰が決めるんだよ。お前か。お前は何一つアクション起こしてねーんだろう? ちゃんと言わねーと。指くわえて見てるだけでいいのかよ。おれは性に合わないな。そんなの。好きなものは手に入れたい」
「確かに。おれは自分の気持ちをあの人に伝えられていません」
「じゃあ相手だって、お前を選ぶことはできねーだろう? お前さ。本当に欲しいものがあるんだったら、どんとぶつかって手に入れてこいよ。男だろう?」
——保住さんに。気持ちを打ち明けるだって?
そんなことが本当にできるのだろうか。田口は目の前に置かれたグラスを握ると、一気にそれをあおった。
「おいおい。それ、結構、強いぞ」
桜は慌てて止めてくるが、田口はお構いなしだ。
「いいじゃないですか。やってやりましょう。こんな辛い思いばっかりするなら。気持ち、うち明けてやろうじゃないですか!」
「ヤケ起こすなよ」
桜は呆れたように肩を竦めるが、野木は田口の背中を何度も叩いた。
「よし、がんばれ、応援してやるぞ!」
「はい!! マスター、もう一杯、同じものを」
「そういう乱暴な飲み方は好きじゃない」
「いいじゃないですか!」
田口と桜が押し問答をしていると、来客の合図であるくぐもっと鐘の音が聞こえた。
「お久~。大きい仕事で立て込んでててさー。やっと出てこられたわよ。——あらやだ! 銀太じゃん! 会いたかったよ〜」
聞き覚えのある声に顔を上げると、そこにはついこの前まで一緒に過ごしていた神崎の姿が。彼女がこの店の常連だったとは。なんたる奇遇——。神崎は嬉しそうに田口に飛びついてきた。
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