第13章 変態野郎の集まり

第1話 日常、でも非日常

 楽譜の入稿が終わり、田口は職場に足を踏み入れた。


「おはようございます」


 保住と喧嘩別れをした。あの後、彼とは何の連絡も取っていなかった。一体、どんな顔をすればいいのだろうか。そんなことを考えていると、谷川が「お疲れ。頑張ったな」と田口の肩を叩いてくれた。


「二週間。掃除や洗濯、食事の支度をさせられました」


「神崎先生の家、きれいになったか?」


 渡辺は笑みを見せる。田口は苦笑いを浮かべながら、彼の隣の席に視線をやった。保住はまだ姿が見えなかった。渡辺は田口の視線の意味を理解したようだ。


「お前がずっといなかったから。係長。一人で仕事を背負い込んで、疲労困憊ひろうこんぱいだったぞ」


「そんな……。係長は一人でなんでもこなしてしまいますから。おれなんかいなくても——」


「そうでもないんじゃない? 最近は、お前に頼っている部分も多いし」


「役に立ってたんだな。田口は」


「そ、そうですか? 嬉しいです!」


 『お前なんか二週間いなくても平気だ』なんて言われたほうが、ちょっとへこむ。必要とされるということは嬉しいことだった。荷物を整理して、自席に座っていると、事務所の扉が開いて保住が顔を出した。


 矢部たちの後ろを通り過ぎる保住の横顔。自分を見ていないその視線に、田口は胸がちくりと痛む。しかし意を決して、「おはようございます」と頭を下げながら、保住の元に駆け寄った。


 ——避けられるだろうか?


 先日の口論が尾を引いているに違いない。心が挫けそうになりながらも、それでもここは仕事場だと言い聞かせた。部下たるもの、上司への報告は必須だからだ。


「大変、遅くなりまして申し訳ありませんでした」


 田口は頭を下げた。パソコンを立ち上げる手を止めない保住は軽い調子で「よくやった」と言った。田口は顔を上げる。だが。保住の瞳は田口を見てはいなかった。


「二週間大変だったな。楽曲が仕上がって一安心だ。助かった。ありがとう。田口」


「いえ、あの。——仕事ですから」


「お前がいない間、谷川さんがフォローしてくれていた。よく話を聞いておくこと」


「はい」


 保住はそれだけ言うと口を閉ざした。その横顔は、まるで作り物の人形みたいに見える。


 ——やっぱり。まだ怒っているのだろうか。いや。なんだか、それだけではないような……。


「田口、戻ってきて良かったですね! 残業からも解放されます」


 渡辺は保住の変化に気がついていないようだ。嬉しそうに一人で話をしている。谷川たちもそうだ。


「係長に褒められたな! 良かったじゃん。頑張った甲斐があるな」


 彼は田口の肩を叩く。だが。田口は困惑していた。


 ——違う。なにかが違っている。


 谷川からの申し送りを聴きながら、田口は保住のことばかり見ていた。保住の目の下には、寝不足の様相を呈するように、クマができている。顔色も悪かった。しかし、今日は珍しくネクタイがきちんとおさまっていた。


 ——変だ。


 二週間で、。みんなは気がつかないのだろうが、田口にはわかる。いつもの保住ではないのだ。



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