第7話 嫉妬

「あなたは、どうしたいのですか? 田口を呼びつけて執拗にいびったり、おれにこうして触れてくる」


 ——澤井の気持ちがわからない。


 澤井の口元が歪んだかと思うと、ノブが回された。ドアに体重を預けていた保住は後ろに倒れこむ。尻もちをつくかと思った瞬間、腰に回った太い腕に支えられた。


 そして、そこにあった田口のデスクの上に押しつけられる。彼のデスク上に載っていた書類が一気に床に散らばった。


「澤井っ!」


「おれのしたいことはこれだ。もう一度、抱かせろ。——保住」


「な……あなたは。ここは職場ですよ」


「構わん。そんなことを気にするような性格ではない。お前は時々、小さい事にこだわる。それは止めたほうがいいだろう」


「そういう問題ですか!」


「そうだな。番犬もいないことだ。今がちょうどいい」


「澤井!」


 がたがたと暴れても澤井の拘束は固い。田口と約束したから。本意ではないこういう関係はもう持たない。そう決めている。


 ——だから。……だけど?


『銀太』


 神崎の甘えるような呼びかけに、田口はくすぐったそうにしていた。いくら、田口と親しくなってもそれはそれだ。田口は安定感のある男だ。自分とは違う。きっと、いい夫になり、いい父になるに違いない。


 自分だけ、きっと——置いていかれる。


 そんな気がしてならないのだ。なぜそんなことを思うのかもわからない。


 真っ暗な事務所。廊下の非常灯の灯りが、くもりガラスから洩れてくる。見開かれたまぶた痙攣けいれんしているのがわかった。保住の背中に指を這わせていた澤井は笑う。


「お前は田口が好きなのだろう——?」


「好き……?」


「そうだ。好きだ」


「好きとはなんなのでしょうか……」


「そうだな。部下として可愛いとか、友達として大事とか、そういう好きではなかろう」


「そういう好きではないとは?」


 澤井の指が保住の唇をなぞる。からだが震える。大人しくなった保住の顔を覗き込んで、澤井は続ける。


「恋心だ」


「恋? 恋心……」


「欲しいだろう? 田口が。違うか。おれとしていること。田口ともしてみたくはないか」


 ——わからない。


 軽く触れる唇の間から洩れる吐息。


「わからない……」


「考えろ。想像してみろ。お前は田口が欲しいのだ」


「田口が?」


 ——田口は後輩で。部下で。そして、友達で……。だけど。田口が誰かと仲良くするのは面白くなくて。


「面白くない?」


 ——そうだ。佐々木教育長の時もそう。女性と仲良くしている田口を見ていると腹立たしい。


 ——これは。


「嫉妬だ」


「嫉妬?」


「田口が他の女といちゃついているのを見るのが辛いのだ。お前は」


「そうなのでしょうか……」


 ぼんやりといた虚ろな瞳は伽藍洞からんどうだった。それでも澤井は容赦ない。保住のネクタイを擦りぬくと、ワイシャツのボタンを外す。


「田口の名前でも呼んでみるがいい。助けは来ないぞ」


 涙がこぼれた。


 ——辛い。切ない。


 生まれてこの方、味わったことのない感情だ。手を伸ばしても、そこにいるのは違う人間だ。保住の手を握った澤井は囁く。


「観念しろ。田口は来ない。お前は隙だらけだ。仕事も、奉仕もよくやってくれる人形だ。おれのものになっておけ。悪いようにはしない」


 ——悪いようにはしない? 人形? そうなのか。


 ずっと思っていた。自分で自分が見つからないまま、こうして生きている。誰かがそれを与えてくれるなら、それをそのまま受け入れてしまう。弱い自分がひょっこり出てくると収拾がつかない。


 澤井は知っている。保住の苦手なところや、痛いところ。なんでも知っている。精神的な攻め方も知っている。じわじわと投げかけられる言葉一つ一つが、精密機械の誤作動を招く仕掛けのようだった。


「優しくしてやる。守衛に見つかるとまずい。黙っておけよ」


 澤井の囁きが耳を掠めた。




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