第3話 ゴミ屋敷の女王

 ——ゴミがあると温かいものだな。


 神崎女史の家に送り込まれて一週間がたった。田口は日々、部屋の片付けに追われていた。


 神崎女史は、寝るときも起きているときも、仕事場であるピアノの前に座りっぱなしだ。いつ起きて、寝ているのか。彼女にとって、生活のリズムはあってないようなもの。眠くなれば寝て、目が覚めれば創作活動を続けている。


 過酷な作業を強いられているのだなと、田口は思った。全ての作業を一人でこなすのだ。誰も助けてくれない。このゴミに埋もれた部屋で彼女は、自分との闘いを繰り広げているのだ。


 なんの刺激もないひとりぼっちの世界だが、彼女の脳内ではいろいろなアイデアが流れているのだろう。隣に置かれているピアノを弾いては、首を傾げたり、楽譜に何事か書き込んだりしている。


 田口がいることなんて、忘れているのではないかと思うほどだが、時々「お腹空いた」とか、「喉が渇いた」と声がかかるので、そのたびに、所望された品を運ぶのが日課になってきた。


 このままで、本当に楽曲が仕上がるのだろうか。そんなことを考えながら風呂掃除をしていると、神崎が珍しく顔を出した。


「えっと。——なんだっけ?」


「田口です」


「そうそう田口……下の名前は?」


「銀太です」


「うっそ! 可愛いね。銀太くんか。いいね」


 彼女はいきなり、屈んでいた田口の背中にもたれかかって来た。


「あの、先生?」


「いいじゃん。減るもんでもないし。触らせなよ。いつも一人だからさ。たまには人の温かさが恋しいわけよ」


「はあ……」 


 田口の背にもたれてくる神崎。髪はもじゃもじゃ。田口がここに来てから、彼女が風呂に入っているところは見ていない。


「お風呂、入りますか?」


 そう呟くと、彼女はぱっと顔を上げる。


「一緒に入る?」


「いえ。おれは……」


「若い男子でもないのに、純朴ちゃんなんだね」


 神崎の指が田口の背中をなぞる。


 その感触に背筋がぞわぞわした。誘われているということは理解できた。そのつもりで置いておかれているのではないと、わかっていても、女性と二人きりでこうしているのに、なにもないというのもおかしな話で——。


「銀太くん、好みなんだけどな……。おばさんは嫌かな?」


「神崎先生は、おばさんではありません」


「まあ、嬉しい。もう賞味期限切れそうだよ。こんなおばちゃんだけど、相手してくれる?」


「——すみません。おれは」


 田口は口籠る。保住の姿がちらつく。その戸惑いに気がついたのか。神崎は「彼女でもいるの?」と尋ねてきた。それに答えられずに黙り込んでいると、神崎は「うふふ」と笑った。


「あらあら? 彼女はいないんだ」


「……」


「それとも恋煩い中?」


「……それは」


「お、図星か。どんな女性か知らないけど、私よりいい女なのかな?」


 もう保住とは、一週間も会っていない。メールをしても返信もない。呆れられているに違いない。神崎と怪しい関係になっているのではないかと疑われているのだろうか。それとも、そうしろと言うのだろうか。

 

 ——酷い。そんなこと。酷過ぎる。


 田口は首を横に振ると、神崎を振り返った。


「お風呂に入らない女性は嫌いです!」


「ひどい~! 銀太くん、ハッキリ言うね」


「当然です。一緒には入りません! 準備するので、お待ちください」


 そう言って、神崎を浴室から追い出す。


 ——自分だって男だ。女性に誘われたら、ぐらぐらくるのは当然だ。だけど。


「絶対、ダメ」


 田口はこぶしを握り締めて大きく頷いてから、お風呂の準備を始めた。




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