第2話 田口、貸し出します。
「ねー、係長さん。どう? 一晩付き合ってくんないかな。そしたらなーんかいいメロディが降りてくるかも知れないんだけど……あ!」
神崎は、椅子にもたれてだらだらしていたが、急に立ち上がると、田口の元に走って来た。
「ねー。初めてみたね。キミ、名前は? ドストライクにいいんだけど!」
「た、田口です」
「気に入った!」
彼女は、田口の腕を摑まえると、ぎゅーっと引っ張った。
「係長さん! この人、しばらく貸してよ」
「え?」
「ええ!?」
田口と渡辺は、目を瞬かせた。
「先生?」
「あ、あの」
「ここで私の助手やって!」
「助手、ですか? おれ、音楽には疎いですよ」
「いいって。いるだけでいいよ!」
田口は戸惑った。保住に助けを求めたくて視線を向けたが、彼はその視線を無視するかのように神崎に「結構ですよ。お貸ししましょう」と言った。
渡辺が「係長!」と叫ぶ。田口はもう泣きそうだ。しかし保住は平然とした顔だった。
「先生には創作活動をスムーズに進めていただかなくては困る。——田口。きちんと先生のお世話をさせてもらうように」
「な……ッ!」
——絶句。
田口は口をぱくぱくして言葉を失ったが、保住は神崎に笑顔を向けた。
「そのかわり。交換条件を提示してもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
「楽曲が仕上がるまで田口を貸出いたします。その代わり、できあがっている楽譜は速やかに引き渡して欲しい。いかがですか?」
「もちろん。いいわよ」
彼女は、グランドピアノの上に重なっていた楽譜の束を渡辺に渡す。
「これは持って行っていいけど。少し手直ししたくなるかも。その時は返してくれる?」
「大幅な変更をされたいときはご相談いただけますか? 出演者たちもあなたの楽譜を首を長くして待っている」
「わかったわ」
「それでは交渉成立ということで」
保住はそう言うと、渡辺を見る。
「帰ります。渡辺さんの車に乗せてもらえますか」
「あ、ええっと。いいですけど」
「係長!」
田口は泣きそうだ。しかし保住は一瞥をくれるだけ。
「田口。しっかりと先生のサポートをすること。先生の楽譜が出来たら事務所に帰ってこい。それまでは出張扱いにしておくから」
「そんな」
「それでは、先生。うちの田口をどうぞよろしくお願いいたします」
「はいはい~」
彼女は上機嫌で笑顔を見せたかと思うと、田口の腕を掴んだ。「ああ」と変な声で唸っていると、保住たちはさっさと姿を消した。
「まずはお茶が飲みたいな?」
うふっと上目遣いで見られても困る。田口は「わかりました」とうなだれて、キッチンに向かった。ゴミなのか、必要なものなのか、わからないものを脇によけて、やかんを見つけ出してお湯を沸かす。これは——。
「掃除からだな」
そんな言葉を呟きながら、田口は腕まくりをした。
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