第11章 同期

第1話 鬼の圧力

 あれから——。保住と田口の距離はますます近くなった。保住は田口に対し全信頼をしてくれるようになった。それはそれでとても嬉しいことでもある。だが……。


 あの時の「お友達宣言」は、果たして吉と出るのか凶と出るのか。あんな宣言をしてしまった手前、自分の気持ちを打ち明けることなど、到底できなくなってしまったのだ。


 今の保住は傷心の状態だ。そんな弱った心につけ入るような卑劣な真似はしたくはない。田口は努めて友人の立場で保住のそばに寄り添っていた。


「おれって、本当にバカでお人好し、なんだろうな……」


 田口は仕事中とはいえ、悶々とする気持ちを持て余していた。隣の谷川には聞こえぬほど小さな独り言を言いながらため息を吐く。


 作りかけの企画書を眺めていると、「田口」と自分の名を呼ぶ声が聞こえた。


「これな」


 保住の手には書類の束がある。田口は腰を上げると、それを受け取った。それから席に戻る。どうやら、予算のところを組み立てろということらしい。


 ぼんやりしている場合ではない、と意識を集中させると、保住が渡辺に「オペラの進行状況は?」と聞いた。


 渡辺は少々、困った顔をして「作曲の方が遅れ気味ですよ」と答える。


「先生を急かすわけにも行かなくて。どんなもんなんでしょうね?」


「それは困りますね。曲ができないと出演者の練習時間が削られる。プロはまだしも、アマの方は障害になりかねない」


 保住の言葉に渡辺は頷いた。


「午後から、ご挨拶がてら、プレッシャーかけてきます」


「よろしくお願いします」


 保住は進行表を眺めてから、田口に声をかけた。


「田口。午後は外勤に付き合え」


「はい。どちらに?」


星音堂せいおんどうでコラボ企画の打ち合わせだ」


「了解です」


 ——資料がないけど?


 そう思うが、保住がメインでやるのだろう。戸惑っていると、谷川がこそっと補足してくれる。


「昨日、係長が準備していた」


「ありがとうございます」


 黙っていても、だんだんと田口の素振りだけでみんなが察してくれる。チームとしていい感じで回っている。仕事もやりやすい。仕事は順調。


「田口、いるか」


 ドアが開き終わらないうちに澤井の声が響く。


「なにか」


 保住は答えるが、彼は「お前には用はない!」と一喝すると、田口を睨みつけた。


「お前の企画書を添削してやった、さっさと取りに来い」


「はい」


 一つとは、澤井これのこと。田口は渋々立ち上がると、事務所を後にした。



***



 保住は、澤井に連れられて出ていく田口の後ろ姿を見送る。あの一件以来、澤井の田口いびりが酷い。澤井はなぜ、あの夜のことを田口に話したのか。それは流石の保住でも理解できないことだった。


 あれから。澤井からの誘いはない。彼は何事もなかったかのように保住と接していた。だから自分もそうするのだ。そう言い聞かせて仕事をしているのに。


 なぜか澤井は田口にちょっかいを出すようになった。何が気に食わないのだろうか。田口という男は実直で真面目。バカがつくほどのお人好しだ。


 保住はすっかり田口に頼っていた。そして、頼ってもいいのだと理解した。彼との時間は、保住にとって安らぎを得られる貴重なものだった。


 だから、澤井が彼に手を出すのがとても面白くなかった。澤井の企みを早く把握しなければ。珍しく心が焦っていた。


 隣の席に座る渡辺は心配そうな顔をした。


「田口、局長の逆鱗げきりんに触れることでもしたのでしょうか?」


「局長って、ちょっとしたことでも根に持ちますよね。田口のやつ、なにやらかしたんだろう」


 矢部は気の毒そうな顔をした。いつもなら、渡辺や矢部、谷川の企画書には目も通さない。保住を呼びつけて説明をさせるのだ。なのに田口の企画書に限っては、直接本人呼び出しだ。


 しかも余程のことがないと通さない始末。これが澤井の悪名を高めている原因だ。気に食わない職員には、とことん嫌がらせを施す。職員教育という笠に着て。


 ふと谷川が呟いた。


「男の嫉妬は醜いですね」


「そうだそうだ。きっと係長が田口と仲良くしているのが、気にくわないんですよ」


 矢部も口を挟む。


「仲良くもなにも……仕事を頼んでいるだけですけど」


「だから、それが面白くないんですよ」


 保住は二人の出て行った扉に視線をやる。自分が間に入ることはできる。だが、それでは逆効果のような気もした。


 田口は打たれ強い男だと自分に言い聞かせながらも、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。




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