第6話 田舎犬の決意

「おれは……馬鹿だ! 笑ってくれ——田口。最低の人間だろう? 同性の……、しかも既婚の上司と平気で寝るような男だ、最低だ……。おれの人生など。もうなくなってしまえばいいのに……」


 笑え。軽蔑しろ。保住の言葉の端々にはそういう意味が込められているのかも知れないが、田口にはそうは聞こえなかった。彼は必死で助けを求めているのだ。


 笑いが嗚咽に変わる。保住という男は色々なしがらみの中で生きている。本当は助けて欲しいのに、その「助けて」が言えないのだ。田口は、たまらず保住の肩を引き寄せて抱きしめた。


「な、なにを……っ! 離せ! 田口!」


「離しません」


「——田口!」


「一人で頑張らないで。おれがそばにいます。支えますから。どうか、本当の貴方を取り戻して。貴方はここにいるのです。亡くなったお父様ではない」


「……っ」


 保住は言葉を失っているようだった。田口は必死だった。大事にして欲しい。だって、自分の大切な人なのだから。


「おれは、貴方の良いところだけじゃなくて、悪いところも全部引っくるめて知りたい。貴方からしたら、ただの部下かも知れない。けれど、おれはただの上司とは思っていません。おれにとって保住さんは。もう大事な人なんです」


 保住の瞳は見開かれて、そして涙がとめどなく溢れ落ちた。


 例えどんなことが起ころうと。保住のそばにいる。田口は頑く心に誓う。


 彼が好きだ。愛おしい。こうして触れた肌の温もりに、彼がここに存在してくれるだけで幸せに思った。保住の手が、ふと田口の背中に触れた。田口はそれだけで嬉しい。目を閉じて、そして更に彼を強く抱きしめた。


「お前はバカだ。こんなおれだぞ? 最低最悪な人間と、付き合う程の価値があるのだろうか」


「ありますよ。おれはもう、すっかり保住さんとは、ですからね」


「友達……? おれには友達などいない」


「友達とは、辛い時に支え合います。悪いことをしていたら叱りつけます。だからおれは貴方を叱った。それだけの話です」


「友達」という言葉を使う自分は浅はかだ。そうやって逃げるのか? と責め立てる自分もいる。だか。こんなに傷ついている彼に、また負担を強いることはしたくなかった。


 自分は澤井とは違う、と何度も言い聞かせた。ここで保住に気持ちを打ち明けることは簡単だ。だが、そうしたくはなかった。今の彼は傷つき弱っているのだから。


「お前は、バカではない。大バカだな」


「前にも同じようなこと言われてますから、気にしません」


 保住は田口の肩に顔を埋めると小さく泣いた。期待のエリート。仕事はなんでもこなす。


 そう言う目で見られていて、いつの間にか、自分でもその型にはまっているに違いない。人に弱味を見せるなんてことができない人だ。


 唯一、保住が自分を見せていた人がいるのだとしたら——それは澤井だ。彼は常に保住の上司である。立場が逆転することはない。


 しかし彼ですら、保住の全てを知ることは難しいのではないか。澤井は保住の父親の影を追い求めている人だからだ。澤井の目には父親の幻影が浮かんでおり、そのフィルターを通して保住を見ているのだ。やはり、澤井にだって、彼の本質が理解できているかどうかと言ったら、疑問かも知れない。


 ——もう引き返せない。心に決めろ。おれは保住さんを支える。


 例え、自分の気持ちを伝えられなくても。彼が別の誰かに心を向けたとしても。彼のために全てを捧げよう。田口はそう決めたのだった。






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