第5話 見えない枷

 保住は、ぽつりと言った。


「お前がいうような男ではない。それはお前の勝手な思い込みだ。おれは……。いい加減で、どうしようもない男だ」


 田口は少し間を置いてから「それは、今回の一件で理解しました」と言った。保住は弾かれたように顔を上げると、田口を見据えた。その瞳は何かに怯えているように見える。


「だったら——。放っておけ。こんな、こんなおれなど……っ」


「ですが!」


 田口は保住の言葉を遮った。保住は怯えきった瞳を見開いて、ただ田口を見返すばかり。田口は声色を落とし、それから笑みを作る。


「それでも。おれの貴方への評価は変わりません」


 保住は困惑しているようだった。ブルブルと唇が震えていた。声色を更に優しくし、田口はそっと保住のその腕を握る。


「むしろ、貴方の人間らしい一面を見ました。仕事になるとなんでも一人でこなせる。オールマイティな保住さんですけど……。やはり誰かの助けが必要なのだという事がわかりました」


「それは……」


 掴んだ腕から保住の心が揺れが手にとるようにわかった。田口は伝えたかったのだ。自分のことを大事にして欲しい。部下を守ってくれるだけではなく、自分自身をも守らなくては行けないということを。


 田口はじっとしている保住の腕を握ったままキッチンから連れ出し、リビングのソファに座らせた。そして、彼の目の前に膝まづき、膝に置かれた手を握る。それから俯き加減な彼を見上げた。


「澤井局長に聞きましたよ。昨晩の顛末てんまつは」


「澤井が言ったのか。なぜだ。なぜお前に……」


「あの人の考えていることはわかりません。だけど、聞いて腹立たしく思いました」


「すまない。不愉快な思いを……させた」


 保住の瞳の色は怯えている。昨晩の秘密を部下に知られたこと。怖いのだろう。


 視線を逸らそうと、からだを捩る保住を許さない。しっかりと両手で捕まえてじっと真っ直ぐに見つめる。


「そうではありません。全く当てにならなかった自分にです。それから、あなたを傷つけた局長もです」


「昨晩のことは承知の上で——」


「違うと思います!」


 田口の声はリビングに響く。保住はびくっとからだを硬くして田口を見た。


「貴方はお父さんの代わりをしようとした。貴方はお父さんの存在に取り憑かれている」


「おれは、父など関係が……」


「なくありません。貴方はお父さんの存在を追いかけ、そしてそうあろうとしている。周囲からの期待に応えようと、必死なんですよ」


 保住という男は思った以上に繊細。周囲の機微な空気の変化を感じ取り、そして配慮しながら動いている人間だ。だから、みんなが彼を信頼し、安心感を覚える。田口もその一人だった。


「貴方は貴方だ。何者でもないのです。もっと自分自身にも目を向けるべきだ。見ていてイラつきます」


「イラつくだと? お前……」


「本当、ムカつきますよ。頭に来る。自分を甘やかしたり、褒めたり、労ったりできるのは自分しかいないんです。それなのに。貴方は自分を痛めつけることばかりする。かわいそうです。そんなことやめてください」


 田口は視線を逸らさずに保住をまっすぐに見つめた。漆黒の瞳からは涙がこぼれ落ちていた。


「おれは……。なんてことを。おれはおれだ。なのに。父の代わりをしようと。……あの何者にも負けない強靭な男……澤井が見せた、切なそうな瞳を見て、そうしなくてはならないと。そう思ってしまった」


「なにもあなたが、お父様が残した事の後始末をする必要はないのです」


「おれは、父の後始末をしようとしていた」


「そうです。貴方のお父さんの澤井局長のことなど、貴方には関係のなきことではないですか」


「田口……」


 保住の手を強く握るとその震えは治った。


「保住さん、もうやめましょうよ。自分の人生を歩まないと」


「自分の人生……とはなんだ? そんなもの。考えたことなどない……! そうだ。おれは愚かしい人間だ。勉強などできても何の意味もない!」


 突然、保住は大きな声を上げたかと思うと、肩を揺らして笑い出した。





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