第4話 あなたがいてくれたから

 相当の疲れとダメージだったのだろうか。ベッド端に腰を下ろして、保住を見つめる。


 やはり視線がいくのは、誰かの跡——いや、澤井の跡だ。朝同様にそっと触れたが、全く動じる様子もなく保住は眠り続けていた。


 ——触れたい。


 そんな思いが、一瞬で湧き起こる。からだの奥底で疼く感覚。鼓動が早まる。


 ——澤井が触れた。澤井と……。


 この冷たい肌を我が物顔で澤井は触れた。保住の味を堪能し、そして繋がったのか。そう思うと澤井への嫉妬心が再び湧き起こる。それと同時に保住への情欲が大きく燃え上がる。


 首筋に触れたい。指ではなくて、唇で……。


「……やめよう」


 ——やめだ。


 自分らしくもない。それでは、大友や澤井と一緒だ。保住の気持ちも考えないで、ただ自分の欲望を満たすことは許されない。そんなことはあってはならないのだ。


 拳を握りしめてから、田口は寝室を後にした。動悸は治らない。違うことに取り組んで、気を紛らわせないと。そう思い、キッチンに買ってきたものを持ち込み料理を始めることにした。


「あの人と同じ方法ではダメだ」


 自分は自分だ。保住と澤井が付き合うならまだしも、それはわからない。まだ希望はあるはずだ。そう自分に言い聞かせる。悶々としてしまうと、独り言が出てくるものだ。


「まだやれる!」


 田口は自分に言い聞かせるように、ガッツポーズを作った。


「なにがだ」


「え?!」


 驚いて顔を上げると、眠そうな顔の保住が、キッチンの入り口にもたれていた。


「いや、あの! ええ?! いつからいたんです?!」


 独り言を聞かれるなんて、恥ずかしすぎる。田口は顔が真っ赤だ。しかし保住はしれっとした顔で、田口の手元を見る。


「焦げ臭いぞ」


「わわ! やばい! ……あーあ」


 ——真っ黒。がっかりだ。


「なにを作るつもりだった?」


「粥です。保住さん、具合悪そうだし」


「粥は嫌いだ」


「え!」


 まさかの選定ミス。田口はうなだれた。ワイシャツの袖をまくり、保住は田口の隣に来る。そして周囲の材料を見て頷いた。


「おれがやる」


「しかし」


「お前に任せていたら、いつまでも飯が食べられないだろうが」


「それは、そうなんですけど」


 田口が横に退けると、保住は慣れた手つきで玉ねぎを細かく切り始める。


「保住さん、手際がいいですね」


「このくらいは、独身男子だって出来ないと。お前、女子に嫌われるぞ」


「見た目だけで嫌われてますよ」


「そんなことはないだろう。みのりはお前のことをいつも褒めている」


 そこまで言ってから、保住は顔を上げた。


「みのりはどうか?」


「え?」


「あいつも独り身だ。わがままな奴だから、なかなか彼氏もできない。お前なら……」


 そんな話は聞きたくない。保住の言葉を遮った。


「それよりも。聞きたいことがあります」


 真剣な視線に、保住は手を緩めて視線を返す。


「昨晩のことか?」


「そうです」


 隠しても仕方がないことだ。田口は素直に頷いて見せた。保住は手を止めることなく俯いていた。長身の田口から、彼の表情をうかがうことはできないのだ。もどかしい。


「お前に話さなくてはいけないことなのか」


「関係ないと言われたらそれまで、ですけど」


 田口の答えに、保住は野菜を切る手を止めた。


「お前は寡黙で大人しい割に、お節介で、どうでもいい人間まで気にかけるな」


「どうでもいい人間……? 保住さんはどうでもいい人ではありません!」


 呼吸を置いてから、保住を見る。


「あなたは自分を粗末に扱いすぎます。おれは心配です。仕事に対しての能力はずば抜けているのに、プライベートが酷すぎます」


 言い返す事も出来ないのか。保住は黙り込んでいた。 


「あなたは、おれの梅沢での生活にたくさん彩りをしてくれました。仕事でも、進むべき道筋を示してくれた。初めて仕事でやる気が出ました。プライベートもそうです。こんなつまらない男なのにこうして時間を共有してくれる。正直、いつ雪割に帰ろうか悩んでいたのです。だけど、梅沢にきてよかったと思わせてくれた」


 田口はじっと保住を見つめた。自分の気持ちを伝えたかった。素直な気持ち。保住への思い。


「あなたは、おれにとったらどうでもいいとか、そういうものではないんだ」




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