第3話 おばあちゃんの知恵袋

 田口の心の中は嵐だった。

 ずっと保住が好きだった。

 男性が好きなわけではない。


 中学校の頃、友達に揶揄われて意識した女の子がいた。けれど、それも高校進学とともにたち消えた。


 男子高校に通ったおかげで女子との接点は限りなくゼロに近くなった。近所の幼馴染たちとは顔を合わせたが、それも友達としての範疇だ。


 大学に進学をして、一人の女性とお付き合いをした。しかし、女子の扱いに手慣れているはずもなく。気が利かないと嫌われた。


 そんな恋愛遍歴の田口だ。なぜ保住をこんなにも好きになったのか理解できなかった。


 田口と保住は上司と部下。そして男同士。田口は、彼に思いを打ち明けることなどできそうにない。だから、保住と付き合えるなんて天地がひっくり返っても無理だ、と思っていた。


 だから我慢していたのに——。同じ男である澤井が保住と寝たと聞いて、心穏やかでいられるはずはなかった。


 ——保住さん。男でもいいんですか。男でもいいなら、おれではダメなのでしょうか。おれは誰にも負けないくらい、保住さんが好きなのに。


 とても仕事をするどころではない。しかし周囲は昨晩の疲れだろうと理由付けてくれた。田口ら終業を告げるチャイムを聞いてすぐに退勤した。自宅にいる保住のことが気がかりだった。


 ——保住さんはいるだろうか?


 メールをする勇気もない。事情もよくわからないのに、自宅に連れ込み、休みまで取らせた。顔向けもできない。余計なお世話だったのだろうか。嫌な思いばかりさせているのではないだろうか。


 だけど、心配で仕方がないのだ。途中で目が覚めて帰宅してしまっている可能性が高い。


 ——いて欲しいけど。だけど、いたらどうしよう? 夕飯をなにか考えないと。


 帰宅途中。いつもは入ったこともないスーパーに味踏み入れる。どこに何が売っているのかさっぱりわからない。天井からぶら下がっていふ看板を見上げながら、店内をウロウロしていると、レトルトの粥が目に入った。


「粥か」


 二日酔いにはお茶漬け。体調が悪い時は粥に限る。レトルト粥に手をかけると、ふと下からの視線に気が付いた。はっとして見下ろすと、そこには小柄な老婆が立っていた。


「具合が悪い人でもいるのかい?」


 彼女はカートの取手を握ったまま、田口の隣にいた。慌てて掴んでいた粥を落としそうになり、掴み直してから元に戻す。


「知り合いが……体調を悪くています。なにを食べさせようか悩んでいました」


 素直に白状すると、老婆はニカッと笑った。


「体調が悪い時は、喉越しが良くて栄養価が高いものでないといけないよ。レトルトの粥もいいが、プラスアルファしなくっちゃ」


「はあ……」


 それから数分。田口はおばあちゃんの知恵袋レクチャーを受けた。結果。とりあえず良さそうなものを買い込んでみたところ、スーパーの袋二つ分にもなった。


 そもそも料理をしない生活だ。一から揃えるとなると、このくらいになるのは当然であろう。いかに料理をしていなかったか、明らかになってがっかりだ。そんな思いを胸に荷物を携えて自宅に帰った。


 玄関を開けると中は真っ暗だ。


 ——保住さんは帰ってしまったのだろうか?


 そんな不安を覚えて、照明をつけると、彼の靴が揃えて置いてあった。寝室を覗くと、今朝置いていったまま彼は眠っていた。

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