第2話 ボス戦、2回戦!



 結局、保住は使い物にならないし、彼の自宅へ行くには少し時間が足りない。田口は自分のマンションに、保住を連れて行った。


 玄関を開けながら、田口は保住に言い聞かせるように言った。


「いいですか、今日は休まないとダメですからね……」


 振り返った瞬間。保住のからだが崩れる。慌てて腕を伸ばし、保住のからだを抱き止める。


「保住さん? 救急車……」


 そう独り言のように呟く。しかし、よく見ると保住は眠り込んでいる様子だ。


「な——。眠かっただけ?」


 すっかり田口に抱きかかえられたまま、寝息を立てている保住。


「眠れなかったのですね」


 徹夜なん平気な人なのに。昨日は相当疲れていたのだろう。それなのに。一体昨晩、彼になにがあったというのだ。


「まったく」


 田口はワイシャツの襟元から見えるその跡にそっと触れる。


「一体お相手は誰なのですか。さすがのおれでも平常心ではいられませんからね。保住さん」


 田口はそっとその首元に顔を寄せる。お日様の匂いがしなかった。保住であって保住ではない。そんな気持ちになると、心がざわついた。


 田口は彼を抱き上げると、寝室のベッドに寝かせる。


「おれは戻ります。寝ていてくださいね」


 返答のない彼を見下ろしてから、田口は市役所に戻る。早朝に出勤したおかげで余裕で間に合った。


 昨晩、遅かったせいで、他の職員たちはなかなか顔を見せなかった。田口は誰もいない事務所に戻り、さもここで仕事をしていましたという顔でパソコンを操作していた。そのうち、渡辺たちが顔を出す。三人には『電話が入って、係長はお休みです』と伝えた。


「昨日、かなりお疲れだったしな」


「仕方ないな」


 そんな話をしていると、澤井が顔を出した。


「保住は休みか」


 渡辺が答える。


「体調が思わしくないとのことです」


「ふん! 休みなんか取るか、と強気なことを言っていたくせに。ざまないな」


 ——この人だ!


 澤井は、昨晩の保住を知る男。あの跡をつけたのは澤井だ。田口はそう確信した。


「局長!」


 自室に戻る澤井を追って、田口は彼の執務室に入り込んだ。


「なんだ貴様。お前に用はない」


「おれは用があります。係長のことです」


 面倒くさそうにしていた澤井は、椅子に座り田口を見据えた。


「昨晩、係長を送っていただいたんですよね?」


「そうだが」


「なにがあったのでしょうか?」


 大友は確かに見送った。その後、澤井が大友に保住を渡すとは考えにくい。大友のちょっかいを見過ごす程、保住をどうでもいい人間扱いしていない男だ。むしろ大友なんかには、指一本も触れさせないのではないかと思う。


 澤井の目は、自分のそれと同じだから。同じ匂いがするからこそ、澤井が保住に近づくのが嫌なのだ。


「お前はなにを言いたい?」


「あの。いえ……」


 息巻いたものの、なんの証拠もない。澤井が事の顛末てんまつを話すとも限らない。田口は口ごもった。それを見て澤井は目を細めた。


「あいつを休ませたのは、お前だな」


「え!」


 嘘をついても仕方がない。田口は小さく頷いた。


「今朝、出勤してきたところ、係長は仕事をしていましたが、とても仕事ができるような状態ではありませんでした。案の定、連れ帰りましたところ、すっかり眠り込んでしまいましたので、勝手ではありますが、お休みの報告をさせていただきました」


「そうか」


 澤井は笑い出した。 


「お前は、保住がなのだな!」


「え——」


「好きは好きでも特別な意味合いを帯びている。尊敬や、憧れの域ではない。情愛や恋心だな!」


「な、あの……」


 上司に同性への恋心を指摘されるなんて、墓穴を掘った。澤井は鋭い。彼には近づかない方が良かったのかもしれない。


 田口の密やかな恋心を、澤井は引っ張り出した。居ても立っても居られない。田口はただ口ごもり、そのまま黙り込むしかなかった。


 澤井は一頻ひとしきり笑うと、愉快そうに田口を見た。


「おれは、あいつの父親を好いていた」


 ——急になんの話だ。


 澤井の意図が理解できないので、どう反応したらいいのかわからない。田口はじっと澤井の言葉を聞いていた。


「おれたちは、ライバル同士だと思われていた。ことあるごとに比べられた。だから、表立って仲良くする訳にはいかなかったが。おれは、あいつを好いていた。意地っ張りだからな。おれは。素直に気持ちを伝えることもなく、対立関係の構図を維持してきた。だが……。あいつは死んだ。二人で頂点を目指す。そう思っていたのに。あいつは死んだんだ」


 初耳だった。保住の父親と澤井は、表ではライバル同士であったのにも関わらず、互いを尊重し切磋琢磨していたというのか。


 保住の父は澤井の思いなど知る由もなかったのかもしれない。澤井は、自らの気持ちを持て余したのだろう。保住への気持ちを自覚している田口には、よくわかる気持ちだ。


 この伝えきれない思い。もし保住がいなくなってしまったら。その気持ちはどこへ迎えばいいというのだ。


「昨日、あいつが大友に犯されそうになっているのを助けた」


 ——やっぱり! 大友は黒。

 

 田口は拳をギュッと握った。


「可愛い部下だ。そう思ったが……その時の保住と、あいつの父親とが重なって見えて。さすがのおれも理性を抑えることは叶わなかった」


「局長……」


「おれは、あいつを犯した」


 わかってはいても、言葉にされると怒りが込み上げた。嫉妬した。愛する保住を別な男が蹂躙したのかと思うと、怒りを抑えきれない。田口は、じっと怒りを堪えながら、澤井を睨みつけた。


「——あなたという人は。上司ならなにをしてもいいのか。保住さんの気持ちはどうなると思っているのですか! なんて人だ!」


 田口は、声を潜めて怒りを押し殺した。


「お前だってそうしたいと思うのだろう? 保住が好きか。好きすぎてたまらないという顔をしているぞ。お前は知りたかったのだろう? 昨晩のことを」


「それは」


「なんでも答えてやるぞ」


 不敵な笑みは優越感。拳を握りしめて、真っ直ぐに澤井を見据える。逆境こそ前を向く。下を向いたらお終いだ、と自分に言い聞かせて。


「一つだけ。あなたは昨晩、なにを得たのですか」


「得たものか」


 彼は少し黙り込んでから呟く。


「ハッキリしたのは、あいつはあいつで、父親ではないということだな」


 田口は頭を下げた。もういい。これ以上は意味がない話だ。


「失礼いたします」


「ああ、さっさと仕事に戻れ。保住もいないのだ。お前が保住の分まで仕事をしろ」


 犬でもを追い払うように、手を振る澤井を置いて、田口は廊下に出た。


 心の中は荒れていた。色々な感情がぐちゃぐちゃに入り混じって、目の前がチカチカとしていた。



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