第2話 ご機嫌斜めのお姫様
「お腹、すきましたね」
谷川はお腹をさする。矢部も背伸びをして「もう一時かあ、昼時間過ぎちゃったなー」と言った。自席に座った時、ふと保住の声が聞こえた。
「ここから一時間の休憩にします。午後は二時から開始しましょう」
「係長、ありがとうございます」
「今日は本当にありがとうございます。みんなの力がなせる技。助かりました」
「今日が山場でしたね。澤井局長のゴーサインが出たんだ。あとは進めていくだけですね」
渡辺は痛む胃を抑えながら、「今日は、また寿命が数年縮まりました」と苦笑した。
「ほっとしました。それにしても——お前の予算書案、よくできてたな! すごいじゃん」
谷川は田口の肩を叩いた。田口は「いえ」と首を横に振った。
「係長の指示どおりに作成しただけですから」
「んなこと言ったって……。見やすかったし。局長への説明もなかなかだったぞ」
矢部や谷川に褒められて田口はくすぐったい気持ちになった。しかし——。本当は。本当に褒めてもらいたいのは……。田口はそっと保住を見た。しかし彼は田口になど見向きもしない。彼はスマートフォンを眺めて、眉間に皺を寄せていた。
「係長?」
思わず心配になって声をかけてみる。保住はその声に弾かれたように顔を上げた。
「いや、すまない。私用の電話だ。さあ、昼食休憩にしましょう」
保住はスマートフォンを抱えたまま、事務室を出て行った。それを見送った渡辺が「珍しいな。私用なんて」と三人を見渡した。
「女でしょうか?」
——女?
矢部は「きひひ」と愉快そうに笑う。田口は心臓がドキドキと鼓動を速めるのを感じた。この一年。保住との距離は縮まった。しかし。彼のプライベートはよくわからない。彼女の話は一つもしないが、もしかしたらいるのかも知れない。
身だしなみさえ整えていれば、素材は悪くはない。しかも市役所内では若手の中でも出世頭である。女性にモテないはずがない。
「今日は、終始ご機嫌斜めなお姫様だからな。なにか嫌なことでもあったんだろうな」
矢部は背伸びをした。目を瞬かせている田口に谷川は説明を付け加えた。
「本当にまれにね。機嫌悪い時があるんだ。どういう加減なんだかわからないんだけど。仕事で機嫌悪くなるってことは、あんまりないからね。きっとプライベートなんだろうけどね」
「係長はモテそうですもんね」
「まあねえ。でも仕事の鬼だからね。特定の女性はいないみたいだけどね」
「特定……ですか」
谷川はにやにやと笑みを見せた。
「いやいや。ともかくさ。昼飯食にしようか。疲れたし、腹減ったな」
渡辺は明るい声色で手を叩く。田口はそれを合図に腰を上げた。
「おれ昼飯、買ってきます」
「この時間じゃ、大したの残ってないぞ」
「なんでもいいんで大丈夫です!」
時計の針は午後1時を回っていた。周囲は午後の就業が始まっている。閑散としている廊下を抜け、田口は1階の売店に向かって走って行った。
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