第3話 心のドロドロ


 売店に足を運ぶと、矢部の言葉を実感した。本当になにもなかった。お弁当類は売り切れ。残っているのは、おにぎりとサンドイッチくらいだった。


 困ってそれらを眺めていると、売店のおばちゃんが怪しむかのように眺める。すでに午後の就業が始まっている時間だ。仕事を抜け出してきたと思われているのだろうか。


 別に言い訳をする必要もない。おばちゃんにどう思われようと関係ないはずなのだが、おにぎりを二個持ってレジに立ってから、言い訳のようにおばちゃんに話しかけた。


「会議が押して。昼飯がずれ込んだんです。――ああ、お腹空きました」


 わざとらしい、よそよそしい言葉だ。おばちゃんは、じろりと田口を見上げて、黙ってレジを打つ。愛想のないおばちゃんだ。


 ——よくクビにならないものだ。


 そんなことを思っていると、おばちゃんはおにぎりを入れた袋にサンドイッチを入れた。


「あの」


「おまけ。お疲れ様」


「——おばちゃん」


 本当は優しい人だったのか。おばちゃんは黙って、おつりとおにぎりの袋を差し出した。


「ありがとうございます」


 人は見た目ではない。冷たそうに見えても心の中は温かい。事務所に戻ろうとして廊下を歩いて行くと、ふと視線が止まった。


「あれ?」


 中庭に保住がいた。彼は中庭の桜の樹の下にあるベンチに座っていた。


「昼飯、食べないのかな?」


 ご機嫌斜めな彼に、ちょっかいを出すのは嫌がられるかもしれない。しかし放って置けないのだ。田口は中庭に繋がる扉を押して、足を向けた。



***


 保住はベンチに座り、満開の桜を見上げていた。


 今朝から、スマートフォンに何度も母親からの着信が入っていた。同じ市内に住んでいても、母親と顔を合わせることはほとんどない。去年、熱中症で入院した時に会ったのが最後かも知れない。


 そんな調子だから、たまに彼女から連絡が来るということは、なにか問題が起きた時と決まっていた。保住家の問題に巻き込まれるのが、一番苦痛だった。だからずっと気持ちが苛ついているのだ。


 相談できる相手もいない人だった。夫を亡くしてからというもの、大切なことは保住かみのりに必ずと言っていいほど相談してくる。きっとここで無視をしても、何度も何度もかかってくるに違いないのだ。嫌なことは一度で済ませてしまおう。


 保住は意を決して母親へ電話をかけた。何度かコール音が鳴ると、すぐにハスキーな母親の声が耳を突く。


「やっと連絡ついたわね! もう。何度も電話したのに。からだ、どう? あの後、全然顔も見せないんだから」


「お小言のためにかけてきてるんじゃないだろう? 仕事中だ。用件があるなら、さっさとしてくれないかな」


「まあ、ぶっきらぼうね。そんなんじゃ、彼女もできないんだから。みのりから聞いてるわよ。まだ一人でふらついているそうじゃないの——」


「用事がないなら切るが」


「ちょっと、そうじゃなくて。電話したのはおじいさんのこと」


「あの人がどうしたって」


 ——やっぱり。面倒そうな話だ。


「おじいさん。体調を崩したみたいで入院しているのよ。お見舞いに行こうかどうしようか迷っているんだけど。どう思う?」


「別に行くことはないだろう」


「でも、結構な御年でしょう? お義兄さんからも電話があってね。おじいさん。貴方に会いたがっているそうなのよ。どうせ行くなら一緒がいいかなって思って。みのりにも声をかけているんだけど……」


 母親は迷うように話をするが、内容的には「見舞いに行く」という行為の正当性を認めて欲しいということがよくわかった。なにせ、自分が否定的な言葉を並べても「でも」と切り返してくるのだ。答えは決まっているのだ。


 ——勝手に行けばいいだろう。おれはごめんだ。


 保住は大きくため息を吐いてから言い切った。


「父さんが死んだときだって顔を出さなかった人だ。あの人が死んでも、おれたちが行く義理はないだろうって思うけど。母さんが行きたいなら行けばいい。みのりはあの人ともよく顔を合わせるって言っていたし。みのりも連れて行けばいいじゃないか。悪いけど、おれは忙しいから。行かない」 


なおは冷たいんだから」


「ともかく。忙しいんだ。悪いけど切るから」


「ちょっと、なお?」


 保住は通話終了ボタンをタップした。嫌な話題を耳にしたものだ。心のどこかに引っかかって、離れてくれない。気持ちが重くなった。


 ——好きとか嫌いとか。どうでもいいんだ。おれには知らない人だから。


 保住の父親は実家を飛び出していて、絶縁状態であった。父親が死んだ時、祖父は葬儀に参列しなかった。だから嫌いだというわけでもない。ただ、我が子が死んだというのに、葬儀にこない親がいるのだろうか、と不思議に思った。


 保住は、保住家が嫌いだ。もともと自分の家族は両親と妹のみのりだけだった。だから、余計な人が絡んでくるのが面倒だったのだ。


 ふと田口の顔が脳裏を掠める。


 ——あいつは、たくさんの人の中で愛されて、大切にされて育ってきたのだ。おれとは違う……。


 スマートフォンをそばに置き、ネクタイを緩めてから空を仰ぐ。青い空と桜が美しいコントラストを描く。その光景は、徹夜明けの保住には眩しく見えた。


「お昼、食べていないですよね」


 ぼんやりとしていると、田口の声が聞こえた。視線を戻す。そこには白いビニール袋を提げた田口が立っていた。保住はただ黙って田口を見据えていた。彼は軽く頷くと、黙ったまま保住の隣に座った。


 ——この男は散々当たり散らして、徹夜まがいのことまでさせたのに、こうしておれの隣にくるのか。今回ばかりは、呆れられていると思ったが。


 田口は袋からサンドイッチを取り出すと、保住に差し出した。戸惑っていた。どう接したらいいのかわからない。「いらない」というぶっきらぼうな声が口から飛び出して慌てていた。





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