第3話 ハムスターと猫



 

 説明会の合間の休憩時間。他の市町村の局長と挨拶をしてくると立ち上がった澤井を見送って、保住は資料を眺めた。


 奇行を繰り広げた県担当者の名は、菜花なばなといらしい。資料を外した後、彼は自分の言葉でちゅうおうからの情報伝達を行った。


 ——なかなかの余興だった。楽しませてくれる。


 今日は一日ホテルに缶詰めみたいなものだ。保住はデスクに溜まっている自分の仕事を思い出して、大きくため息を吐く。


 ——こんなところでくだらないことをするよりも、仕事がしたい。


 保住はいつもの癖で、ネクタイに指をかけてからはっとした。


「クソ。こんな堅苦しい恰好、早くおさらばしたいものだ」

 

 保住は舌打ちをしてから、そっと会場を抜け出してロビーに出た。澤井の目を盗んで、ホテルから抜け出してしまおうか。そんなことを考えていると、目の前から歩いてきた男と鉢合わせになった。


「失礼いたしました」


「どうも、すみません!」


 相手の男は豪快に大きな声を上げたかと思うと、深々と頭を下げた。保住も慌てて軽く頭を下げたが、相手が菜花であると知り、ついまじまじと彼を見つめてしまった。


 みんなの前で話をする時とは打って変わって、挙動不審だ。視線は泳いでいて、「あ、あの。あの」と、意味不明な声を上げていた。


 ——なんだ。この男。


 保住は怪訝そうに菜花を見つめる。すると、彼はやっとのように言葉を絞り出した。


「梅沢市の……方ですか?」


「いかにも。梅沢市です」


 保住の返答に満足したのか、彼は大きく頷いてから名刺を取り出した。


「前任の長嶋から申し送りがありまして……。梅沢の担当の方はとってーも恐ろしい方なので、仲良くしてもらえるようにしておくことって……」


 保住は「ああそうか」と呟いた。


 ——あの眉毛の細い男の名は長嶋か。


 どうでもいいことなのに。ずっと引っかかっていたことがすっきりとして、保住は笑みを見せた。それから自分の名刺を差し出した。


「こちらからご挨拶に伺わなければなりませんのに。失礼いたしました。先に受け取ってください。梅沢市役所教育委員会文化課振興係長の保住です」


「いえいえ。おれの名刺が先ですから」


「そういう押し問答はやめません?」


 菜花は顔を真っ赤にした。二人は視線を合わせると、そのまま同時に名刺を交換した。


「すみません。上司にも『お前は変だ』ってよく言われていて」


「いや、おれも変人扱いされていますから、気にしません」


 保住のコメントに菜花の表情がパッと明るくなる。


 ——変人仲間で嬉しいって。やっぱり変人なんだろうな。この男。


「菜花さんの説明、大変わかりやすかったです」


「そうですか!? 嬉しいです。係長にどやされました。減俸かも。帰ったら覚悟しておけって、すっごく鬼の形相で怒られちゃって……」


「でも、そんなもの、?」


 保住の意味深な言葉に、菜花はその意図をくみ取ったのか、口元を緩めて笑った。


「なんでわかるんですか?」


「だって、給料なんかどうでもいい。自分の好きなようにやれたから満足って顔している」


 保住の指摘に、彼は更に笑った。


「やだな。やっぱり同じ匂いがすると思った」


「同感です」


「自分の思う通りに出来ないなら——」


「やらないほうがマシ、ね」


 初対面なのに妙に意気投合してしまうところが恐ろしい。


「なんだ。全然怖い人じゃないじゃないですか」


「怖くなんかないですよ。ただ譲れないことがあるだけ」


「譲れない……か。そうですね。おれもそうかも知れません。ポリシーに反したこと。絶対に許せないですから。相手が上司でも……ね」


「菜花さんが怒っているところは、想像できないが」


「そうですか? おれ、気性が荒いんですよ!」


 真ん丸の可愛らしい顔で、怒った表情をされても拗ねているようにしか見えない。


「ハムスターが前歯を剥いているみたい」


「失礼ですね! 出っ歯ってことですか?!」


 ぷんぷんされても迫力はない。


「そういう保住さんは黒猫ですね!」


「宅急便みたいな言い回しはやめてくださいよ」


「おお怖い! 食べられる!」


「ハムスターなんて興味ないです」


「ますます失礼じゃないですか!」


 菜花は怒っているが半分は冗談。保住も同じだ。こういう冗談に乗ってこられる人種は一部。県の担当者は、相手をしても仕方がないと思っていた保住だが、菜花なら話が通じそうだと思った。しかし。


「なにをじゃれている」


 そこに用件が終わったのか、澤井の声が飛ぶ。菜花は澤井を見た途端、保住の後ろに身を隠した。


「怖っ! あの邪悪なラスボスみたいな方はどなたですか?」


「聞こえているぞ!」


「うちの事務局長です」


 保住はにやにやして澤井を紹介する。


「すみません。えっと」


「知っている。菜花。保住のお友達だろう。覚えたぞ」


「こわ」


 澤井の目の前で、「怖い」と言って除けるような職員は庁内にはいない。堂々たるものだ。


「局長、県の担当者をどやしてもなんの得にもなりませんよ。さあ、行きましょう」


「ち」


 澤井は、凄みを利かせて菜花をにらんだ後に、保住に背中を押されて会場に入った。


「お前みたいな人間が、二人になると面倒だ」


「そう言わないでくださいよ。別組織にいるんです。いいじゃないですか」


「意気投合されると、首輪を付けても引きちぎって飛び出していく。管理職には爆弾だ」


「自粛しているじゃないですか」


「そうしてくれ」


 席に座って出入り口に視線を戻すと、菜花が手を振っていた。後半の説明会が始まる。保住はふと部下たちのことを思い出した。


「田口のやつ。緊張しているんだろうな」


 保住は目を閉じて、口元を緩めた。




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