第5話 共にある幸せ

尚貴なおたか


 ふと、柔らかい声色に視線を巡らせると、父親がいた。逆光で表情がわからないが、彼は窓際の椅子に座っていた。ここは彼の仕事部屋だ。


「生きていると社会的規範や、道徳に反しても叶えたい思いが出てくるものだ」


 ——どういう意味?


「誰の目も構わずに、自分の心の赴くままに生きていくことも選択肢のひとつ。人生は短い。一度しかない、この大切な時をどう使うかは、自分しか決められない」


 彼は漆黒に光るその瞳を細める。


「お前には後悔はしてもらいたくない。守りたいもの、プライド、しがみつきたいものは多々あるが、それらを捨て去って、心に従うこともまた人生。悔いなきよう、自問自答しながら歩みなさい」


 ——なぜそのようなことを言う?


「父さん」


 そう呟いた瞬間、現実に引き戻された。


 ——ここはどこだ?


 顔を上げると、そこは車の中だった。自分の車ではない。見慣れない車内にはったとして、視線を上げる。隣で運転をしているのは……。


「田口」


「お目覚めですか。よく寝ていました。お疲れでしたからね」


 眠り込んでしまったようだ。休日の朝から引っ張り回している田口に運転をさせて、自分は眠り込んでいただなんて——。なんだか申し訳ない気持ちになった。


「すまない」


 姿勢を正して座り直す。


「自宅にお送りしようと思っていましたが、着いても眠り込んでいたようでしたので、すみません。適当にドライブしていました」


「それはまた。すまない」


  ——本当に甘え過ぎだな。笑ってしまうくらいだ。


「すまない」


 保住はまた謝ったが、田口は笑う。


「何度も謝らないでください。こちらが恐縮してしまいます」


「そうか……」


 田口は余計なことを言わない。保住にとったら都合がいい人間だが、それ以上に助けられている。


「今日は助かった。当事者同士の話は埒が明かない。お前の投げかけが、あの場にいたみんなの心を和らげてくれた」


「いえ。出過ぎた真似でした。反省しています」


「いや。おれたちは、バラバラだ。たくさんの家族の中で上手く調整しているお前の方が長けている。さすがだ」


 保住に褒められるなんて、思ってもみなかったという顔をしてから、笑った田口を見ると心が穏やかになった。


「素直に受け取ります。ありがとうございます」


 保住はそっと青い空を仰ぐ。


「田口」


「はい」


「海が見たいな」


「承知しました」


 田口はそっと微笑んで方向転換をする。


 ——無駄なことはいらない。気兼ねもいらない。


 ただこうして時を共にできる喜びがあるのだから。




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