第10話 「好き」の気持ち

 湿っぽい飲み会は尾を引く。田口は、三人と別れて帰途に着いた。すでにアルコールが悪さをし始めているようで、こめかみがズキズキと痛んだ。


 途中コンビニでミネラルウォーターを買って飲みながら歩く。星が綺麗な夜だった。


 自宅近くの店は、閉店の準備をしているところだった。みのりが出てきたおしゃれなイタリアンレストランだ。家から近いというのに、来たことはなかった。


 白いシャツに、黒いエプロンの男が看板をしまっているのを立ち止まって眺めていると、ふとその隣にもう一軒、飲み屋があることに気がついた。


 かなり古ぼけたバーだ。中からはなにやら音楽が聞こえてきた。カラオケでもしているのだろうか。飲み屋のママさんがいほうな店だ。


 水を一口含み紫色に灯った看板を見る。


「ラプソディー?」


 ——昭和のクラブみたいだな。

 

 流行っているのだろうか。


 ——こういうところは大概、一元さんお断りなんだろうな。ボトルキープとかあるのかな。


「関係ないか」


 田口は大きい独り言に驚いて、はったとした。かなり酔っているのだろう。ヒックとしゃっくりが出た。


「なんだ? 大丈夫か?」


 自問自答して、笑い出す。


 ——なんだ。おかしい。笑っちゃう。


「馬鹿みたい」


 保住に冷たくあしらわれて、こんなにショック受けるなんて。そのこと自体にもショックだが、それよりなにより。こんなにもショックを受けている自分にショックだった。


 ただの上司のはずだ。

 ただの先輩のはずだ。

 ただの憧れの人なはずだ。

 年齢が近い友人まがいの人なはずなのに。


 友達でもない。

 知り合いでもない。

 仕事で同じ部署になって。

 年齢がちょっと近いだけで。

 それで、それで——。


「なんで……」


 こんなにも、あの人は自分の心に入り込んでくるのだろう。

 まるで——。


 


?」


 弾かれたように、心臓が跳ねた。


「ば、バカか」


 首を横に振る。


 ——なにを一体……馬鹿げているではないか!


「好きなのか?」


 言葉に出すと、ますます恥ずかしい。顔を真っ赤にさせて、居た堪れなくなる。


「は、やだな。変なの」


 ——否定しろ。自分の気持ちを。否定しろ。否定しろ!


 なのに……「違う」のその一言が、出てこなかった。それもそのはずだ。自分は、実家に連れて行った保住になにをした?


「き、キス……」


 田口は「あああ」と変な声をあげた。


「そうだ。おれは……係長に。ふ、触れたんだ」


 あの時のことを、どこかに押しやっていた。思い出さないようにと。あれは、何かの間違いだと。心の奥底に押し込めてきたのに。それが一気に噴出していた。


「でき、ないのか? できるはずない。そうだ。だって」


 ——おれは。係長が……す……き。


 田口は顔を抑えて焦った。


 ——だから?


 澤井と連れ立って帰る保住を見て、心が塞ぎ込むのか。


 モノクロの世界が彩られるのは、彼がいてくれるから。


 それって……やはり。確実に。


「好き……」


 ——しかも、ただの好きではない。きっと、それは特別な……。


 そんなことを考えながら、ふらつく足取りでマンションを目指す。


「ぐぬぬぬ……くそおーー!」


 田口は気持ちを持て余し雄叫びをあげた。すると。マンションの入り口に見知った男を認めた。


「遅い! 待たせるな!」


 偉そうな物言い。

 よく通る声。


 ——幻聴か? 幻覚か?


 田口の心が追い求めているから?


 ——夢でも見たのか?


「……っ?」


「いつまで待たせるつもりだ! このダメ部下が」


 保住はとても不機嫌そうな顔で、腰に手を当てて仁王立ちしていた。その手にはビールが入ったコンビニの袋が見えた。



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