第4話 親衛隊の仕事
保住は席に座って部下たちを見渡した。
「新しい仕事の件でした」
「今度は、どんな無理難題ですか?」
渡辺は、神妙な面持ちで保住に尋ねた。
「教育長研修の手伝いです」
保住の言葉に、一同は頭を抱えた。
「まじか。嘘でしょう。去年はやらなくて済んだのに」
「やはり声がかかってしまったか……」
身悶える三人を見て、田口は目をぱちくりとさせていた。それもそのはずだ。田口はこの事業の恐ろしさを知らない。
この教育委員長の会合は、梅沢市と周囲の市町村を交互に会場にして開催される。昨年は、梅沢市の隣の町で開催されたので、保住たちは関与することはなかった。
しかし、一昨年は酷い目にあった。あの地獄絵図のような混沌とした立食パーティを思い出し、保住は言葉を飲み込んだ。
「そんなに大変な仕事なんですか?」
谷川も同じ気持ちなのだろう。田口の問いに、まるで
「谷川、さん?」
「お前な。公務員になんてなるんじゃなかったって、後悔してしまうような。この世の終わりだ思える仕事だぞ……」
「この世の、終わり……ですか?」
田口は困惑したように視線を彷徨わせた後、保住に視線を横した。その瞳は純真無垢な犬の瞳。田口には経験させたくない仕事だ。
「田口。バスガイドが嫌がる客の職業はなんだか知っているか?」
「え? なんでしょう? 反社会的な方々でしょうか」
「教師、警官、公務員、医療従事者」
「お堅い仕事じゃないですか」
谷川が付け加える。
「お堅い仕事の人って、羽目を外したら手に負えないものなんだ。教師のトップの教育長たちの羽目の外しようったらないからな。お前、トラウマにならないように覚悟しておけよ」
「……想像できませんが」
「体験しないと理解できんだろう。身をもって知るがいい」
悪の
「でも、研修会ですよね? 羽目を外す場面なんてあるのでしょうか?」
「研修会は建前。内情は年に一度の懇親会だからな」
羽目を外すと厄介な輩たちなのに、さらに教育長だ。トップの暴走を下々の者たちが止められるはずがない。そう考えると、これはかなり危険な匂いを孕む事業であることは、安易に予測できることだろう。
「それは……やばそうですね」
「だろ?」
田口は不安気に視線を落とした。それとは反対に、矢部が「また、あの人が来ますよね?」言った。
「そうだ! 忘れていたけど。異動したってきいていないもんな」
渡辺は、サッと顔色を悪くして心配そうに保住を見てくる。保住もそのことだけが気がかりなのだ。
「ヤバイ、あの人はヤバイ」
谷川も首を横に振る。そんな三人の反応に、田口は余計に挙動不審だ。
「そんなに危ない奴が来るのですか?」
三人が面白がって田口を構っているということはよくわかる。保住は笑いを堪えて様子を見守った。彼らは口々に田口の不安を煽る言葉を吐く。
「お前な、すげえ、やべえ奴くるぞ」
「そうだ。お前の首なんか一捻りだからな」
「そんな……」
顔色も表情も変わらないのに、目が泳いでくる田口は、内心焦っている様子である。そこで、堪えきれなくなったのか。渡辺が吹き出した。それに続いね谷川や矢部も笑った。
「え? なんです? なんで笑うんですか」
「だって、ヒ……っ、面白い」
「本当、単純野郎だぜ」
「渡辺さん、そんなに脅したら田口が可哀想ではないですか」
保住はおかしくなった。澤井との嫌な気持ちはどこかに消えていた。おかしくて、おかしくて。心から笑った。こんなに笑うのは久しぶりだ。涙まで出てきそうだった。
「脅しなんですか?」
みんなに笑われた田口は不本意そうに「騙したんですか」と文句を述べる。渡辺は「悪い、悪い」と言った。
「いや、ほとんど事実だぞ。おれたち、本当に酷いものを目の当たりにしたんだ。でも、一番嫌な思いをしたのは係長じゃないですか」
——確かに。
田口は心配気だ。保住は「その話は無しにしましょうよ」と言った。事実、あの男のことは思い出したくもない。君が悪い男だった。
「でも、田口だって知っておかないと。親衛隊の一員であります」
谷川は啓礼をしてから田口を見る。
「県教育長の大友さんは、保住係長のファンクラブだからな」
「ファンクラブ?」
「そうだぞ。受付していると、係長の手を握るし。懇親会では、必ず係長の後をくっついて歩いている。あれはあからさまでしたよね。係長ラブが全面に出ていました」
矢部も口を挟む。
「そんな事ってあるんですか?」
保住はあの夜のことを思い出し、虫唾が走る思いだ。
「
今回も来るだろうし、あれ以上の接触を図って来るかも知れない。おれたちには、研修会を成功させるとともに、係長を守るという使命もあるわけだ」
「渡辺さんは大袈裟なんですよ」
みんなには迷惑をかけたくない。保住は首を横に振った。
「そんな余計なことに気を回さずに、職務をこなしましょう」
「係長。そんな隙だらけのことを言っているから、つけ込まれるんですよ」
「そうです。しっかりして」
「おれたち、頑張りますから。な、田口」
三人にそそのかされた田口も大きく頷く。
「おれがからだを張ってでも、係長を守り抜きます」
「おお! 鉄壁!」
「すげえディフェンダーだ」
どんと胸を張る田口が頼もしいと、黄色い声が飛んだが、保住は苦笑いだ。
「男に守られるほど、落ちぶれているつもりはないです。それよりも、さっさと仕事に戻りましょう。いろいろと仕事が詰まっていますよ」
「せっかく面白い話だったのに」と谷川は呟く。
しかし、田口は瞳をギラギラとさせてきた。単純な男だ。巻き込まれないといいのだが。保住はそう思っていた。
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