第7話 お前の訛り、可愛いな
「銀太。そろそろ飯だ。戻るか」
祖父の声に顔を上げる。首に下げていたタオルで額の汗を拭った。畑仕事は重労働だ。市役所のデスクワークで鈍ったからだには堪える作業だった。
息が上がっている田口の様子を見て、父親は「体力落ちたんじゃねーか」と笑った。
「仕方ねえだろう。からだを動かす機会なんてほとんどないんだから。おれたちの仕事はパソコン打ってればいいんだよ」
「言い訳はいっちょまえだな。お前、ちゃんと仕事してんのか? 係長さんに色々と聞いてみねぇとな」
「な! 仕事の事は話すんなよ。係長は休むために来ているんだから……」
もごもごと口の中で言葉がうまくまとまらない。そんな田口の様子を見て、父親は日焼けした顔をくしゃくしゃにして笑った。
「なんでだー? よっくど話聞いてみたいものだ。家の息子は、使い物になるかどうかよう」
「父さん! 係長は、こんな田舎育ちじゃないんだから、あんまり話するとバカ丸出しになるからな。やめとけよ」
「バカ丸出しはひでぇなぁ」
「おれたちとは、住む世界が違う人だ」
「そんなにすげぇのか!」
寡黙な祖父も笑みを浮かべていた。三人は鍬や鎌を手に連れ立って歩く。
「係長は頭いいんだ。東大出てんだぞ」
「東大って、東京大学のことか?」
祖父も口を挟む。
「あららら。頭いいんだな」
「見たことねぇな。そげな人」
「銀太と一緒に役場さ来てもらったらいいんでねーか」
「それはいいな。拍がつくってもんだ」
二人は、勝手に話を進めていく。口を挟んでも意味がない。田口は、ただ黙って二人の後ろをついて歩いた。
草いきれの匂いが鼻を掠める。ジリジリと照りつける太陽が眩しすぎた。三人が歩く農道の両脇に広がる水田の水に青い空がきれいに映り込んでいた。
「母ちゃんが、一緒に飯食わないとダメだって騒いでいだぞ。具合悪い時ほどみんなと一緒にいないどダメだって」
父親はあっけらかんと言い放つが、嫌な予感しかない。自分が留守の間、保住にはちょっかいかけないように釘を刺してきたが、そんなことを気にする母親ではないことを思い出したからだ。
「早く帰る」
田口は二人を追い越し、歩調を早めた。半分転がるように駆けていき、広い土間になっている玄関に足を踏み入れる。それから、田口は慌てて居間に駆け込んだ。
「おかえり。銀太。なんだい。そんなに慌てて」
母親は驚いたような顔をしたが、案の定。そこに保住が座っていた。しかも藍色の寝巻きを着せられて。
「母さん……! 係長は療養できてるんだから、勝手にいじり回すなって!」
「まあ! そんな失礼な言い方しないのよ」
テーブルの上のうどんは半分くらいに減っていた。昨日よりは食べている様子を確認して、ほっと胸を撫で下ろしたが、それにしてもこの騒動。いや、騒動になっているのは田口の内面だけだが——。ともかく田口にとったらとても不本意なことが起きたということだ。
田口は申し訳なさそうに保住に視線をやった。彼は笑みを浮かべて田口を見ている。
「心配ない。寝てばかりいても回復が遅いようだ。こうして誘っていただいてよかった」
「ほら。係長さんだって、よかったって言っているじゃないか。ちゃーんど係長さんにも相談してるし。ねえ、ばあちゃん」
保住の隣に座っている祖母は、保住の手を握っていた。
「銀太、本当にいいお友達がいていがったね。ほらみてみい。手がつやつやしているよ。若いっていいねえ」
「ばあちゃん、友達じゃないから。おれの上司だし。それから、勝手に手を握らないで」
「上司ってなんだい?」
「ばあちゃん……!」
家族との会話で四苦八苦している田口がおかしいと思っているのか。保住は吹き出した。
「な、笑わないでくださいよ」
「お前のご家族は、みんな面白いキャラだな」
「面白くなんてないです!」
「あんた、係長さんになんて口聞いてんの」
母親は呆れた顔をした。田口は口を閉ざすしかない。
——だから嫌なんだ! 我が家は……!
「お、係長さん、身体いいかい?」
そこに遅れて到着をした祖父と父親が顔を出した。保住は申し訳なさそうに頭を下げる。
「あの、係長はやめてもらえませんか? 保住で結構です」
「いやいや、係長さんは係長さんだべ」
「んだな」
居間はお祭り騒ぎのように騒然となった。その内に芽衣が帰宅して、小学生二人組が揃うと、隣に座っている人の声が聞えないくらいのうるささになった。
田口は頭が痛い。昼食も手をつけず、さっさと保住の腕を引っ張り自室に戻った。
「早くお休みください。寝ていたほうがいいです」
「そんな慌てなくても大丈夫だ。少しは起きて過ごさないと。本当に寝たきりだろうが」
「いけません。あんなうるさいところ」
「そうだろうか? 楽しいのに。それに、お前のその訛り。可愛いな」
田口は耳まで熱くなった。思わず振り返ると、保住は悪戯な笑みを浮かべて田口を見返していた。紺色の寝巻に蒼白な首元が浮かんでいる。まるでこの世のものではないようだった。喉が鳴った。
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