第4章 犬の故郷へ…
第1話 故郷
田口の故郷である
米どころで農家が多い。市町村合併が始まった頃。雪割町の周囲も、小さい町村が肩寄せ合うように合併していった。しかし、当時の町長はそれを良しとはしなかった。
財政的にも余裕がない自治体同士がくっついたところで、面積だけが広がるだけで、なんのメリットもないと判断したからだ。
当時、町長の判断に反対意見も随分と出された。しかし。今となっては、それが功を奏した。
雪割町長は、自分たちだけでの生き残りをかけて、農産物だけでなく、人口を増やすため、子育てのしやすさナンバーワンを目指し、若い人たちの移住を促したのだ。
その結果、人口は一万人をキープし、ここ数年は、『全国、住んでみたい田舎ランキング』の上位に食い込む人気ぶりだったのだ。
田口の同級生たちも、進学などで離れても、再び戻ってくることが多い。今回の帰省は、そんな地元にいる同級生たちから、同級会の誘いが舞い込んだためだった。
今更、同級生とわいわいとする年頃でもないが。小さい頃から一緒に育った仲間たちだ。ふと懐かしい気持ちに駆られて、参加すると答えてしまったのだった。
昨日までは後悔していた。仕事も忙しいのに。呑気に帰省をしている場合ではないからだ。しかし。結果的には、これはこれで良かったのかもしれない。
田口は信号も少ない、田舎道で車を走らせながら、ふと助手席に視線をくれた。
「係長、お疲れになったのではありませんか?」
シートを倒して、
「一時間とは言え、車に乗っているのはきつかったですね」
自分の故郷へ帰れる嬉しさに併せて、保住を連れて行くといういつもとは違った帰省に興奮しているのだろう。いつもそうおしゃべりではない質なはずなのに、なんだかんだと言葉を紡いでいた。保住は黙って天井を見上げていたが、ぽつりと呟く。
「何かの匂いがする」
田口は少し開けていた窓に視線をやってから、首を傾げた。
「臭いですか、すみません」
「いや、いい匂いだ。なんだか懐かしい。おばあちゃん家みたいなイメージ」
「係長のおばあ様の家は田舎ですか?」
「いや、梅沢の駅前だが」
田口は笑う。
「田舎の風景なんて全くない場所ではないですか……。イメージですね。あくまでもイメージ」
信号で止まって保住を見ると、彼の漆黒の瞳に夕暮れの空が映っていた。生気のないくすんだ瞳。体調が思わしくないのだろう。話しすぎたと反省をした。
「家に来たら、なにも構うことはありませんから。ずっと横になっていてください」
「お前の実家に世話になっているというのに。寝てばかりいるのは全くもって失礼な話だが。……多分、かなり強がっても起きていられないかもしれないな。甘えてもいいのだろうか。おれなんかが来て良かったのか? お前の大事な夏休みだ」
「構いませんよ。広い家です。気にならさないでください」
「親御さんだけか?」
「いえ、祖父母と両親と、兄家族です。兄家族は子供が三人で……全部で九人家族です」
保住は笑う。
「テレビに出てきそうな大家族だな」
「そうですか? 雪割では三世代、四世代がザラです」
「そうか。それはそれでいいな」
保住は口元を緩めて笑うと、直ぐに瞼を閉じた。休ませると言っておきながら、自分が一番足を引っ張ってはいけない。田口は口を閉ざし、運転に集中した。
今日は木曜日。仕事を終え、田口はその足で保住を迎えに行った。みのりが来ていて、保住の荷物をアパートから持ってきてくれていた。
保住に似ているのに、よく話す気さくな女性だった。いつまでも遠慮している保住の背中を豪快に叩いて送り出してくれた。
雪割町までは高速で一時間。時計は午後六時を指すところだ。ジリジリとた日差しは多少和らぐ。軽く沈んできた夕日が、鮮やかな橙色を作り始める。
猛暑といえど、雪割の夏は朝晩寒いくらいだ。風邪をひかないように注意しないと。そんなことを考えながら、田口は自宅を目指した。
山間を抜け、広い田んぼ畑が視界に入ると、田口の実家はもう直ぐだ。懐かしい我が家の敷地に車を停めると、中からでっぷりした容姿の母親が出てきた。
「おかえり! 銀太!」
彼女は人の良さそうな笑みを浮かべて転がるようだ。
「母さん、ただいま」
「大変だったね……で?」
母親は、ワクワクした視線で田口の青いSUVを見つめていた。保住をどう紹介しようか思案していると、彼は頭を下げながら車から降りてきた。
「はじめまして。保住です。この度は、大変無茶なお願いをお引き受けいただきまして。本当に申し訳ありません」
「あら……」
「母です」
田口の母親は、目をパチクリさせてから笑った。
「あらやだ! 銀太の上司の方って言うがらさ! おじさんがくるのがと思った!」
「母さん……係長は一応、年上だからね」
「そうなのが?! 銀太より断然、若く見えるわ」
田口より小柄ではあっても、横幅は優っている彼女は大きな声を立てて笑った。保住の目にどう映っているのだろうかと心配になる。田口はそっと保住の横顔を伺った。
彼は田口の母親を見て目を細めている。どうやらそう驚いてはいなさそうで、内心ほっとした。
「銀太、戻ったか」
きゃっきゃとしている母親を見て苦笑していると、農作業を終えた父親と祖父が姿を現した。
「係長、父です」
保住は二人に深々と頭を下げる。
「この度はお世話になります」
「なんだぁ、係長さんって言うがら、おじさんがくるのがど思った」
「んだな」
「部屋だけはいくらでもある。家族も多いから人間一人ぐれぇ増えんのは、どってごとないが……逆に、うるさくて休めないのではないがと、心配すています」
父親は、はにかんだ笑顔を見せる。田口は父親に似ているとよく言われていた。外仕事をしているせいで、日焼けをしていて田口よりは黒いが、彼そのものなのだ。保住は再び頭を下げた。
「いえ。ありがとうございます」
一通りの挨拶を交わしたことを確認し、田口は今度は祖父を紹介した。
「こちらは祖父です」
「保住です。どうぞよろしくお願いいたします」
「こちらごそ」
祖父は寡黙なタイプだ。にこにこしているものの、一言だけ告げて後はペコリと頭を下げた。
「とりあえず、中に入ろう。今日退院したばかりと聞いてます。長旅でお疲れでしょう? 直ぐに床を用意させますがら。暑さにやられたとか」
「自己管理が悪いのです。職務中に、情けないお話です」
「いやあ。役所の職員さんっつーのは、みんな必死ですがらね。それだけ熱心に仕事に取り組んでいるという証拠でしょう」
父親が保住を促し、談笑しながら家に入っていくのを見て、母親は笑う。
「お父さん、楽しみにしでたのよ」
「え?」
田口は目を瞬かせる。
「だって、あんだ初めてじゃない? 梅沢の人、連れて来るの」
「そうだね」
「みんな心配してんだから。あんだ、人見知りだし。無愛想だから、友達とか、懇意にしてくれる人、いないんじゃないがって」
図星。さすが家族。よくわかっている。
「係長は上司だし、頼まれただけだげど」
「頼まれるってことは、信頼されてるんじゃないの」
そうなのだろうか。
——自分が?
なんだか実感がないが、そうなのかもしれない。
「なんだが、安心したわ」
母親の笑顔を見て、余程みんなに心配をかけていたのだと思い、少し胸が痛んだ。
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