第4話 入院

 渡辺は顔を顰めて、何度も「参ったなあ」と言っていた。矢部や谷川は苦笑いを浮かべるばかりだった。しかし。田口は動揺していた。


 何故三人がここまで冷静にいられるのかがわからない。田口の脳裏には意識が朦朧としている保住の顔が焼きついて離れなかった。


 それよりもなにより。あの澤井の手際の良さ。まったくもって自分は役立たずで用なしだった。


「一体……。係長は。大丈夫なのでしょうか? みなさんは、驚かれないのでしょうか?」


 田口の問いに、谷川が答える。


「係長って、なにせ仕事以外に無頓着だろう? 体調管理もなんだよ」


 矢部が口を挟む。


「人より寒い、暑いの閾値いきちが高いらしいぞ」


 閾値が高いと言うことは、人より「暑い」「寒い」を感じる能力が鈍いということか。人より感じにくいということは、気がついた時には手遅れ……。


「夏はすぐに熱中症になるんだよ。冬は凍傷な」


「まさか……」


「そのまさかじゃん! 今日の一件がさ。お前も目の当たりにしただろう? おれたちも暑さにやられてたからな。係長の面倒まで手が回らなかった……」


「いつもおれたちで水分摂るように促していたんだけど。今日はうっかりしていたな。去年も軽く熱中症になったけど、意識朦朧とするほどじゃなかったからな。つい油断した」


 渡辺は頭を抱えた。

 保住という男は、どこまでもだらしがない。自分の健康管理もままならないなんて。信じられない、と田口は思った。


「しかし、局長のあの手際のよさは……」


 渡辺は肩をすくめる。


「あの人、スポーツだかなんだかやっているみたいで、体調悪くなった人の対処が上手いんだよ。それに、近所の熊谷くまがい医院の医者と旧友みたいで、なにかあるとそこに行くみたいだ」


「そうなんですね」


「去年も結局、体調悪くなった係長を病院に連れて行くのはあの人の役目。こんなことは日常茶飯事みたいで、澤井局長に任せれば元気になって帰ってくる」


 ——


 澤井、澤井、澤井。保住の周囲には彼の話題がついて回る。澤井と保住は切っても切れない関係性ということだ。


 田口は面白くない。自分が対応できたかと言うと、必ずしも澤井のようにはいかないかもしれない。けれど、なにもできないわけではないじゃない。


 保住の容体はどうなっているのだろうか。

 熱中症で意識が朦朧としているのは、軽度とは言わない。田口だはスポーツをしていた。熱中症のことはよくわかっているから、とても心配で仕方がなかった。


 四人は言葉数少なく仕事に向かうが、誰一人として集中できていないことは明らかであった。そして、その日の夕方。課長の佐久間がやってきた。


「局長から連絡があったぞ」


 一同は緊張する。佐久間は人の良さそうないつもの笑みを消し、神妙な顔つきをしていた。


「しばらく入院だそうだ。早ければ一週間くらいだが、まだ見通しが立たないらしい。今回は重症だ」


 矢部と谷川は、顔を見合わせた。これからどうなってしまうのだろうかと、田口も不安になった。


「しばらくは、おれが直接サポートする。また、日常のものは係長代理の渡辺さんにお願いする」


 返答のないみんなの気持ちを察したのか。佐久間は手を叩いた。


「ほらほら。そんな辛気臭い顔をするな! 保住ほうちゃんが帰ってきた時に、何も進んでないのでは迷惑がかかるぞ! 心配なら働け。それがお前たちにできることだ」


 彼の言葉に、渡辺は気を取り直したかのように「よし」と明るい声を上げた。


「係長がいなくても、大丈夫だと安心させよう!」


 渡辺は、みんなを順番に見渡す。


「な、谷川」


「はい!」


「矢部」


「もちろんです」


「田口」


「はい」


 不安はある。みんな同じ気持ちだ。主人の欠いた机は、ぽっかりと穴が空いたみたいに見える。渡辺が敢えて明るい声で話を始めた。こんな時こそ団結しなければ。田口はそう心に言い聞かせた。




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