第20話 トンネルを抜けて



 澤井はじっとしていた。ダメだったのだろうか——? 

 固唾を飲んで黙り込むと、彼は田口ではなく保住を見た。


「少々乱暴だ」


「そうでしょうか。斬新でいいと思いますが」


 保住はそのままの姿勢で、微笑を浮かべる。それから澤井は田口に視線を戻した。


「リスクの計算が甘い。もう少し詰めろ」


「はい」


「そして、出演者の選定も曖昧だ。もっと具体策を持ってこい」


「はい」


 そう言うと、企画書を乱暴に掴み上げて田口に差し出した。


「話は終わりだ」


「え?」


 ——どういうこと?


 思わず突き返された企画書を受け取ってから目を瞬かせて「理解できない」と保住を見る。そんな田口の戸惑いなど、まるで無視なのか。軽く笑い、そのまま身体を起こした保住は、踵を返した。


「失礼します」


「えっと、あの。係長? えっと。失礼します」


 さっさと澤井の部屋を出て行く保住を追いつつ、澤井にぺこりを頭を下げて、廊下に転がり出た。そして扉を閉めてから、保住の腕を捕まえた。


「待ってください! 係長」


 思わず捕まえたその腕は細くて、一瞬戸惑う。


「なんだ」


「あの。意味がわかりません」


「意味って?」


「おれのプレゼンはどうだったんでしょうか? 良かったのか、悪かったのか……」


 田口に腕を掴まれたまま、保住はくるりと振り返る。一気に間合いが詰まって、彼が近く感じられた。


「合格ってことだ」


「でも」


 ——ダメ出しばっかりじゃ……。


「話にならなければ、あの人はプレゼンを最後まで聞かない。お前はまずやり切ることができた。それが第一段階クリア」


「はあ……」


「そして次。改善点を数か所指摘されただけ。ということはコンセプト自体はOK。そのまま進めろということだ」


「えっと……」


 ——つまりは。この企画を進めていいっていうことは……。


 そこで初めてじわじわと嬉しさが込み上げてくる。

 初めてだ。まともに仕事ができた気持ちになるのは。田口はもう片方の保住の腕を掴まえると、両手でブンブンと上下に握手をして喜びを表した。


「やった! やりました! 係長!」


「お、おい……」


 田口の声は妙に響く。廊下中に反響して、谷口たちまで顔を出した。


「な、なんだ?」


「田口、うるさいぞ」


「終わったのか」


「お前ら、静かに……」


 注意をしに出てきた佐久間ですら、大喜びで大騒ぎになっている田口を見て苦笑する。二人の様子を見て、事のしだいを理解したのだろう。


「そうか。良かったな」


「嬉しいです!!」


 田口の素直な喜びは、周囲を幸せな気持ちにさせる。そこにいるみんなが、なんだか胸がほっこりと温かくなるのを覚えていた。



***



 特に保住はそう思った。素直で真っ直ぐ。叩いても叩いても、折れない田口の気質。育て甲斐がある。


 ——部下として。


 いや、人間的に「いい奴」だ。こんな人間、出会ったことがない。

 今まで、覚えたことがないような気持ちに戸惑いながらも、握られた手の温もりを味わった。


 昨晩の澤井との邂逅が頭から離れずに、モヤモヤとした気持ちを抱えていたはずだったのに、田口はそれを吹き飛ばしてくれる。


 ——この男には、救われるのかもしれない。


 保住は口元を緩めて田口を見ていた。





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