第7話 イマジネーション



 第三会議室に入ると、田口は書類を目の前のテーブルに乗せ、立ったまま待っていた。


「お願いします!」


 ——真面目。融通が利かない男。


 保住は田口への評価を心の中で述べながら、手前のパイプ椅子を引き寄せて座った。


「あのさ、田口」


「はい」


「ちょっと落ち着こう」


「落ち着いています!」


 ——全然、落ち着いていないじゃないか。


 保住は笑ってしまう。


「焦っていないか?」


「焦っていません」


 ——焦っているだろう? まあ仕方ない。


 別な話題には、まったく耳を貸す気がないらしい。田口は生真面目な瞳で保住を食い入るように見つめている。本題に入るしかないか。そう判断をして、保住は企画書を持ち上げた。


「まず一つ目。これは誰が主語の企画書なのだ」


 田口は「え」と口ごもった。さっきまでの興奮が少し治ったのか。彼の瞳から、闘志のような色は消え、困惑の表情を浮かべる。保住は畳み掛けるように「答えろ」と言った。


「えっと。お客様です」


「客とは? 誰だ」


「えっと、地域の人や、市民の方。それから、星野一郎ファン……」


「だな。で、この文章は誰の為にある? ……『この事業の目的は、市民への星野一郎の啓発であり』……」


 保住は企画書を読み上げ始めたが、すぐに田口に止められた。


「ま、待ってください!」


「なんだ」


「自分の文章を読み上げられるのは恥ずかしいです」


「お前に恥ずかしいなんて気持ちがあるのか?」


「ありますよ!」


 田口は顔が真っ赤になる。まるで中学生のようだ。保住は内心笑いを堪えるので精一杯だ。


「そんな話ではない。おれが言いたいのは内容のことで……」


「すみません」


 彼はますます赤面しうなだれた。


 ——堅物。だらしのないおれみたいな人間が大嫌いな、型にはめたがるタイプのクセに。


「やっぱり、中学生みたいだな」


「え、なんです」


「いやなんでもない」


 保住は自分のスマートフォンを取り出すと、音楽を流した。田口はすぐに「星野一郎……」と呟いた。


 保住は音楽はよくわからない。ただ。この部署に配属されて、星野一郎の曲は全て覚えた。人生で作曲された曲数は、


 牧場の朗らかな様子が目に浮かぶような、それでいてワクワクする曲調。昭和独特な女性の発声が、尖った心を和らげてくれる。


「おれはこの曲が好きだ。運動もわからないが、音楽もわからん。だがこの曲は、心がウキウキしてくる。明るい昭和の良き時代が脳裏をかすめる」


「……どうしてでしょう。この時代に生まれていないのに」


「日本人に染み付いているのかもしれんな。この平成の時代は冷たすぎる。戦後の復興で、日本のあちらこちらが湧いていた。良き時代だったのだろうな」


「係長でもそんなことを思うのですか?」


 ——意外だと言いたいのだろう?


「昔の事はよくわからん。過ぎたことをほじくり返してノスタルジックな気分になるタイプでもないが。この部署に来て、星野一郎のことが好きになっただけだ」


 保住は音楽を消した。



***



「係長は、どうやって自分が想像もできない分野の仕事をマスターするのですか?」


 ——保住という男は、自分と大差ない年齢なのに、なぜ係長なのだ? 能力が違いすぎる。


 企画書一つで、アップアップな自分が情けない。それなのに保住は、みんなの企画書を精査できる立場にある。課長の佐久間にも一目置かれている。


 ——落ちこぼれだ。自分は……。


 落胆の気分。半分投げやりだった。しかし保住は真摯に答えてくれた。


だな」


「興味?」


「そうだ。お前も、星野一郎に興味を持ったのだろう?」


「ええ、まあ」


「そしたら、いいアイデアが生まれた」


「はい」


「企画書もそうだ。想像しろ。誰のためのものなのか。お前の頭には演奏会のビジョンが浮かぶのか? 場所は見て来ただろう」


 ——そうだ。確かに。


 田口の頭の中では、演奏会は始まっているのだった。



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