第6話 30点
「三十点」
翌日の午後。田口は企画書を提出した。コンセプトはオッケーが出ていたから。かなりの自信作だったのだが。
保住は別な仕事に追われているようで、パソコンから目を離すことはない。田口から手渡された書類を横目に眺めてから、すぐにそれを差し返した。
「えっと」
突然のことに、田口は言葉に詰まってしまった。口ごもり、その場に立ち尽くしていると、保住は「もう一回やり直しだ」と言った。
田口は条件反射で「は、はい」と返答を返すが、やはりからだは動かない。じっとそこから、保住を見下ろしていた。
「えっと」
「なんだ?」
何事かに夢中になると、周囲が見えない男だ。田口はじっと書類を見つめて、それからそれを両手で力一杯握った。
「ど……どこがいけませんか?!」
やっとの思いで振り絞った言葉。田口に取ったら、精一杯の問いかけ。だがしかし。保住は軽く手を振った。
「どこって……全部っていうか」
「全部?!」
二人のやりとりを見て、他の職員たちはクスクスと笑い声を上げた。周囲の反応に、初めて保住は顔を上げた。
流石に田口の顔を見た保住は、申し訳なさそうにため息を吐いた。しかし田口にとったら、そんなことはどうでもいいことなのだ。
頭の中は「三十点」が何度も鳴り響く。前職場では、この書き方で問題なかった。むしろ前上司の指導通りの書き方だ。これのどこがいけないと言うのだ。田口には全くもって理解できなかった。
「お……教えてください。おれとしては、今現在ではベストなんですけど。どこがダメなのか。是非、教えてください」
「教えろって言われても……。学生でもあるまいし。今までどんな風に指導された? お前の自己流じゃないだろうな」
「自己流なわけ、ないじゃないですか! おれは上司からの指導に対しては忠実に守ります。おれは、自己流で仕事をしたことなどありません」
「なんと! それこそ変だろう? お前は上司が死ねと言ったら死ぬのか?」
「公務員たるもの。組織に忠実であるべきです。もしおれがその役を担わなくてはいけないのであれば……」
保住は笑い出す。
「お前、ドラマの見過ぎだろうが。生真面目で融通が利かない男だな!」
「それがおれですから! おれはいつでも必死です。ベストを尽くします。ですから、貴方も上司として部下にベストを尽くすべきだ」
『必死』。そういう言葉が適当だろう。田口は必死だった。書類の不備や、出来損ないであることを指摘されたことは多々ある。なのに、何故だ。保住に見て欲しかった。忙しいのは重々承知だ。だが、片手間に扱われたことがショックだった。
褒められるとでも思っていたのだろうか。自分の甘さが恥ずかしい。その醜態を、保住に八つ当たりすることで正当化しようとしている自分に、さらに腹が立っていた。
田口の隣の席の谷川がくすくすと笑った。
「ベストって」
「強気発言だな」
渡辺も同感という感じだ。
「見てみたいな。田口のベスト」
「ひ、ひどいです」
田口は目頭が熱くなってくる。なんたる失態だ。職場でこんな大騒ぎをするキャラではない。いつも寡黙で、落ち着いた男。そんなキャラで来たはずなのに。
引っ込みがつかない。田口はますます言葉に詰まり、ただ保住を見つめることしかできなかった。
そんな田口を見上げて、保住は真面目な顔を見せた。
「お前の仕事は受け身だ。そんな調子では、身にならない。もう一度自分でよく見直しをしろ。お前、まさか。本当にそれでいいと思っているのではあるまいな?」
「見直しても見直しても、これ以上は絞り出せません! これがおれのベストです」
いつも物静かな彼の声は、文化課のフロアに響いた。他の島の職員たちも、手を止めて田口を見ていた。
「なになになに? また揉め事?
課長の佐久間が、騒ぎを聞きつけて、のろのろとやって来た。
「揉めてはいませんけど……すみません」
「揉めてないって感じじゃないじゃない」
佐久間は保住と田口、渡辺たちを順番に眺めてから軽くため息を吐いた。そして保住と田口の肩を同時に両手で叩く。
「場所を変えて、時間を取ってあげなよ。
「すみません。おれのやり方が悪いですね」
「そうじゃないけどさ」
佐久間はそう言うと「ね?」と片目を瞑る。それを見て保住は、パソコンから手を離したかと思うと声を上げた。
「企画書を持って、第三会議室」
「はい」
田口は、資料や企画書をがさがさと抱え込み、廊下に出て行った。もう周囲が見えていなかった。
***
田口を見送ってから、保住はため息を吐いた。佐久間は笑う。
「
「そうですね」
「ここにいるみんなは、優秀だね」
佐久間はそう言うと、渡辺、谷川、矢部を見た。
「おれたち優秀ですか?」
「嬉しい。課長」
「うふふ」
三人は笑う。保住も苦笑いだ。
「田口はこれからです。おれが育ててみせます」
「すごい入れ込みだね」
佐久間は笑う。
「見込みはあると思うんですよね」
「力入り過ぎないようにね。潰しちゃうともったいない」
「そうですね」
——あの大型犬みたいな男が、ちょっとやそっとじゃ、潰れないと思うが……。
保住はそう思いつつ、ネクタイを緩めて廊下に出た。
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